高倉定助
高倉 定助(たかくら さだすけ、1893年(明治26年)8月26日[1] - 1965年(昭和40年)1月20日[2][3])は、大正・昭和期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
編集滋賀県[2]甲賀郡土山村(土山町[4]を経て現甲賀市土山町)で、高倉重助の四男として生まれる[4]。滋賀県立水口農林学校(現滋賀県立水口高等学校)を卒業し農牧業を営む[4]。
音更村会議員、帯広市会議員、北海道会議員、同参事会員を務めた[2][3]。また、帯広市農会長、同農業会長、北海道農会議員、同農業会理事を歴任[2][3]。十勝拓殖取締役社長、北海種苗公社取締役、北海道木炭取締役なども務めた[3][4]。
1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で北海道第5区から出馬して当選し、その後、第25回総選挙まで再選され[5]、衆議院議員に連続3期在任した[2][3]。この間、日本農民党代議士会長、農民協同党会計局長、改進党院内総務、同会計監督を務めた[3]。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙に出馬したが次点で落選した[6]。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第19版 東日本篇』帝国秘密探偵社、1956年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。