高井ルビー

日本の歌手、女優

高井 ルビー(たかい るびー、1903年[1] - 1972年7月5日[2])は日本の歌手女優である。本名は「天田 春音(あまだ はるね)」[3]。大正期~昭和初期の浅草オペラでソプラノの歌姫として活躍。

たかい るびー
高井 ルビー
本名 天田 春音
(天田 ハルネ)
別名義 高井 爾美
高井 爾美子
高井 ルビー子
天田 春美
生年月日 1903年
没年月日 1972年7月5日
出生地 日本の旗 日本 群馬県
死没地 日本の旗 日本 静岡県熱海市
職業 歌手女優
ジャンル オペラ歌謡曲童謡
活動期間 1919年 - 1930年代後半
活動内容 新星歌舞劇団
生駒歌劇団
森歌劇団
主な作品
レコード『君恋し』
『銀座小唄』
茶目子の一日
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経歴

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群馬県出身。祖父は国定忠治の子分の一人であり左の腕にあたる人物であったという[4]

十代の頃に上京し、歌手・井上起久子に師事。1920年に演出家の獏与太平に見初められオペラ女優の仲間入りを果たす。 初期の芸名は「高井爾美[5](読み同じ)。この芸名は井上に付けられたという。 なお、芸名の由来は駆け出しの頃大学生のパーティに招かれた際、指輪がないので小道具の指輪をはめて行き、学生に「あっ、高いルビー」と言われたのにちなんだと言われる。

新星歌舞劇団生駒歌劇団を経て関東大震災後には清水金太郎田谷力三らの居る森歌劇団に所属していた。 このころからオペレッタ風の童謡歌劇や流行歌などを吹き込み、同じく浅草オペラで活躍した二村定一らとのデュエットもした。 ちなみに「君恋し」は二村定一よりも先に吹き込んでいる。浅草オペラ女優・歌手として第一線を退いたあと、1937年に満州の名門ダンスホール「ぺロケ」の専属歌手を務めた[6]

また、オペラ現役当時(1920年代)には作曲家の近藤政二郎との間に一女を儲けている[7][8]

戦後になり、1960年代には横浜で旅館を経営[9]。晩年は実妹とともに娘が住む静岡県熱海市へ移り、小料理屋を営んでいた。 1972年7月5日、心不全により死去。満69歳没[2][10]

ディスコグラフィー

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高井ルビー名義

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御伽歌劇・童謡

流行歌

天田春美名義

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  • 「乙女は恋に弱いもの」(1930年

参考書籍

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  • 清島利典『日本ミュージカル事始め 佐々紅華と浅草オペレッタ』刊行社、1982年(佐々紅華の伝記。私生活のことまで詳細に書かれている)
  • 石川桂子『大正ロマン手帖-ノスタルジック&モダンの世界』河出書房新社、2009年(浅草オペラのページに高井ルビーの写真が掲載されている)

注釈

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  1. ^ ただし「日本歌劇俳優名鑑」(森富太著・活動倶楽部社、1921年刊)p30では「十八歳」(数え年で1904年生まれ)と表記されている。
  2. ^ a b 「東名新聞」「熱海新聞」「伊豆毎日新聞」「伊豆新聞 熱海版」いずれも1972(昭和47)年7月7日付。「天田ハルネ」または「天田はるね」とカナ表記されている。
  3. ^ 青山順三「なつかしの一九二〇年代・浅草の歌劇の人びと」グロリヤ出版・1981年刊。「日本歌劇俳優名鑑」(森富太著・活動倶楽部社・1921年刊)では「天谷春音」としている。
  4. ^ 青山順三「なつかしの一九二〇年代・浅草の歌劇の人びと」グロリヤ出版・1981年刊 p70「コーラス・ガール」より。実妹・天田すみの証言から書き起こした随筆。
  5. ^ 「日本歌劇俳優名鑑」(森富太著・活動倶楽部社・1921年刊)p30。「爾」は中国語発音で「ル(ěr)」。なお目次には「高井爾美子」と書かれている。
  6. ^ 小針佑起「大正昭和美人図鑑」p97 2018年刊
  7. ^ 青山順三「演劇ノート・思い出の人びと」p256 1983年刊。
  8. ^ @hirorin_kindai 2020年10月17日
  9. ^ 榎本健一「喜劇こそわが命」p72 栄光出版社・1967年刊
  10. ^ 青山順三「演劇ノート・思い出の人びと」p255 1983年刊 兵庫県神戸市発行の雑誌「少年」1979年1月号に掲載していた記事に「最近熱海で世を去った」という記述がある。

外部リンク

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