馬路村 (京都府)
日本の京都府南桑田郡にあった村
馬路村(うまじむら)は、かつて京都府南桑田郡にあった村。現在の亀岡市馬路町にあたる。
うまじむら 馬路村 | |
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廃止日 | 1955年1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 亀岡町、東別院村、西別院村、曽我部村、吉川村、薭田野村、本梅村、畑野村、宮前村、大井村、千代川村、馬路村、旭村、千歳村、河原林村、保津村 → 亀岡市 |
現在の自治体 | 亀岡市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 京都府 |
郡 | 南桑田郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,770人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 京都市南桑田郡千代川村、旭村、千歳村、河原林村、船井郡八木町 |
馬路村役場 | |
所在地 | 京都府南桑田郡馬路村 |
座標 | 北緯35度03分19秒 東経135度33分13秒 / 北緯35.05514度 東経135.55358度座標: 北緯35度03分19秒 東経135度33分13秒 / 北緯35.05514度 東経135.55358度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集- 山岳:呉弥山
- 河川:桂川
歴史
編集- 江戸時代には旗本の杉浦氏が管轄した
- 慶応4年、戊辰戦争の際、西園寺公望が丹波・山陰鎮撫のため薩長両藩の兵約300を率いて入村、馬路の郷士も参加。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、馬路村・大芝原新田の区域をもって発足。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 亀岡町・東別院村・西別院村・曽我部村・吉川村・薭田野村・本梅村・畑野村・宮前村・大井村・千代川村・旭村・千歳村・河原林村・保津村と合併して亀岡市が発足。同日馬路村廃止。
両苗
編集人見、中川の両苗郷士(身分的には百姓だが苗字帯刀の特権をもつ地侍)が中世以来馬路郷を支配してきたとされる[1]。西園寺に帯同した中川謙二郎、立命館大学創設者の中川小十郎はその出身。
名所
編集脚注
編集- ^ 第三研究歴史班「丹波国南桑田郡馬路村両苗文書」『同志社大学人文科学研究所紀要』第4巻、同志社大学人文科学研究所、1960年11月、207-262頁、CRID 1390853649841537280、doi:10.14988/pa.2017.0000007709、ISSN 04180011、NAID 120005635528。
参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 26 京都府