馬場正郎
馬場 正郎(ばば まさお、1892年1月7日 - 1947年8月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。熊本県出身。
馬場 正郎 | |
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1945年9月10日、ラブアン島の降伏式典における馬場中将 | |
生誕 |
1892年1月7日 大日本帝国 熊本県 |
死没 |
1947年8月7日(56歳没) オーストラリア委任統治領 パプアニューギニア ラバウル |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1892年(明治25年)1月7日、馬場政行陸軍中尉の息子として生まれる。広島陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校を経て、1912年(明治45年)5月28日、陸軍士官学校を卒業(24期、兵科「騎兵」)し見習士官。同年(大正1年)12月24日、陸軍騎兵少尉任官、騎兵第5連隊附となる。1918年(大正7年)12月11日に陸軍大学校入校、1921年(大正10年)11月28日に同校を卒業(33期)。
騎兵第5連隊中隊長、陸軍騎兵学校教官、ドイツ出張、陸大教官、騎校教官、騎兵第4旅団参謀、騎兵監部部員を歴任、1935年(昭和10年)8月1日に陸軍騎兵大佐に任官し騎兵第24連隊長。1938年(昭和13年)7月15日、陸軍少将任官し騎兵第3旅団長、また騎兵監部附などを経て、日中戦争(支那事変)では騎兵集団長として蒙古に出動、1941年(昭和16年)8月15日、陸軍中将となった。
1941年10月、第53師団長に親補され太平洋戦争(大東亜戦争、第二次世界大戦)に従軍。1943年(昭和18年)9月、第4師団長としてボルネオに派遣された。1944年(昭和19年)12月、ボルネオ守備軍を前身とする第37軍司令官となり引き続き同地の守備を担当した。
太平洋戦争敗戦のため1946年(昭和21年)4月に復員したが、翌年1月にBC級戦犯容疑(サンダカン死の行進)で拘留、同年6月2日、絞首刑判決。同年8月7日、パプアニューギニアのラバウルで刑が執行された。
栄典
編集- 位階
- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[2]