香西 長祐(こうざい ながすけ)は細川京兆家の内衆。

 
香西長祐
時代 室町時代後期 - 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 彦二郎(通称)
官位 因幡守
幕府 室町幕府
主君 細川政元
氏族 香西氏
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概要

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香西氏讃岐国の国人であるが、長祐や香西元長など何人かは京都に上洛して細川京兆家の内衆として活動していた。文明17年(1485年)から永正4年(1507年)にかけて細川政元の邸宅で開かれた連歌会(細川千句)に長祐の名前が見える。身延文庫本「雑々私用抄」紙背文書の「百韻連歌懐紙名残の折」 に、香西又六元長同孫六元秋同彦六元能・真珠院宗純兄弟や、元長被官の生夷秀長中沢泰綱らとともに長祐の名が見えることから、元長と親しい関係にあったことがわかる[1][2][3]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 溝渕利博「中世後期讃岐における国人・土豪層の贈答・文化芸能活動と地域社会秩序の形成(中)」
  2. ^ 田中健二「中世の讃岐国人香西氏についての研究」
  3. ^ 奈良文化研究所篇『勝賀城跡III-総括報告書(考察篇)-[1]