香西 元忠(こうざい もとただ)は細川京兆家の内衆。摂津住吉郡守護代香西之長の末裔であると考えられる[1]

 
香西元忠
時代 室町時代後期
生誕 不明
死没 文明17年(1485年)7月16日
幕府 室町幕府 摂津住吉郡守護代
主君 細川政元
氏族 香西氏
父母 之長
元継
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概要

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文明8年(1476年)2月27日には、和泉国堺南庄念仏寺領の摂津国堺北庄内の田畠について主命を奉じて段銭と臨時課役を停止するよう本庄上野介に命じており、住吉郡の守護代であったことがわかる[2]

大乗院寺社雑事記文明14年(1482年)3月18日条に畠山政長畠山義就との争いに際し、細川氏方として堺北庄の警備に当たっている[3]

文明17年(1485年)7月16日に死亡した[4]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 田中健二「中世の讃岐国人香西氏についての研究」
  2. ^ 田中健二「中世の讃岐国人香西氏についての研究」
  3. ^ 田中健二「中世の讃岐国人香西氏についての研究」
  4. ^ 田中健二「中世の讃岐国人香西氏についての研究」