香樹院徳龍(こうじゅいんとくりゅう、1772年10月22日明和9年9月26日) - 1858年3月8日安政5年1月23日))は、江戸時代後期の浄土真宗の僧。真宗大谷派に属し、東本願寺学寮講師を務めた。は召雲。は不争室、香樹院。

概要

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越後国の佛性山金剛院無為信寺(現在の阿賀野市)の次男に生まれる。

京都・東本願寺の学寮にて香月院深励に師事し、1847年弘化4年)、学寮で最高位の講師となる。また、各地を布教して巡り[1]、87歳で没した。

「学識は香月院(深励)、徳行は香樹院(徳龍)」と称された[2]

墓所

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墓所は新潟県阿賀野市無為信寺にある。

著作

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  • 『成唯識論記』
  • 『解深密経講賛』
  • 『香樹院語録』

脚注

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  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  2. ^ 歴史と人物|佛性山金剛院無為信寺(「4. 第10代講師、香樹院釋徳龍」に当該内容あり)

外部リンク

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