香山 小鳥(かやま ことり、1892年明治25年)2月 - 1913年大正2年)6月)は、長野県下伊那郡飯田町(現・飯田市)出身の版画家詩人。本名は香山 藤禄(かやま ふじろく)。

香山 小鳥
生誕 1892年2月
長野県下伊那郡飯田町(現・飯田市
死没 1913年6月(21歳没)
国籍 日本の旗 日本
教育 東京美術学校予備科
著名な実績 版画
運動・動向 創作版画
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経歴

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長野県下伊那郡飯田町(現・飯田市)生まれ。1911年(明治44年)に長野県飯田中学校を卒業し、一家で東京深川に移り住んだ。1912年(明治45年)には竹久夢二と出会い、そのつてで恩地孝四郎(小鳥より1年早い1891年生)や田中恭吉(小鳥と同じ1892年生)と出会った。同年4月には東京美術学校予備科に入学し、本科の彫刻科塑像部を志望するが、選抜に落第して7月には東京美術学校を退学し、木版彫師の伊上凡骨の下で木版画の勉強に励んだ。1913年(大正2年)6月、肺結核によって死去[1]。21歳没。没後3年目に『月映』で遺作が紹介され、1919年(大正8年)には第1回日本創作版画協会展に同作品が出展された[2]

脚注

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  1. ^ 『版画芸術』阿部出版、No.157(2012年秋号)、16頁
  2. ^ 室伏哲郎『版画事典』東京書籍、1985年