飲光部

上座部仏教の部派

飲光部(おんこうぶ、サンスクリット: Kāśyapīya; パーリ語: Kassapiyā, Kassapikā)は仏教上座部系に属する部派。善歳部: Suvarṣaka)とも称する[1]

語源

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A. K. Warderによると梵名のカーシャピーヤ(Kāśyapīya)という呼称はアショーカ大王が最初の布教僧の一人として、ヒマヴァント国にカーシャパ(Kāśyapa)を派遣したという伝承から来ている[2]真諦三蔵は、『十八部論疏』の中で、カーシャパを飲光と訳すことについて、光(kāśa)を飲む(√pā)から、「飲光」と訳すのだと説明している[3]

歴史

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A. K. Warderは、飲光部は紀元前190年ごろに独立した部派になったとする[4]。説一切有部の『異部宗輪論』および上座部の『マハーワンサ』の両書が一致して述べる所によれば、飲光部は説一切有部の分派である[注 1] [注 2]。大衆部の説明するところによると、飲光部は(有部の)分別論者たち(Vibhajyavādins)に由来する[6]。A. K. Warderは、飲光部が「雪山部」(Haimavata)と呼ばれるようになったと主張している[4]

外見

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148年から170年の間に、パルティア人の僧侶安世高中国に渡来し、『大比丘三千威儀』と呼ばれるインド仏教の五大教派に使われる袈裟(kāṣāya)の色を記した書物を漢訳した。[注 3][8]。『舎利弗問経』にはこの情報を確証する全く同様の記述が含まれている[8]。『舎利弗問経』の該当部分には、「飲光部は衆生たちを保護することに関して勤勉・精力的である。彼らはモクレンの衣を身に纏うだろう[9][注 4]とある。どちらの出典においても、飲光部の比丘たちはモクレン袈裟を纏うと記述されている[11][9]

教説

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世友英語版の『異部宗輪論』には飲光部が折衷学派であり、上座部と大衆部の両方の教説を支持していると書かれている[12]

『論事』の註釈書によれば、過去の出来事が現在に何らかの形で存在すると飲光部では信じてられていた[13]。 A. K. Warderによると、阿羅漢も間違いを犯すし完璧ではないという教説が飲光部で支持されており、これは説一切有部や大衆部の諸部派と同じ考え方であるという[2]。これらの部派では、ある種の阿羅漢(=時解脱阿羅漢)は完全には欲を滅尽しておらず、その解脱は不完全で、彼らは阿羅漢位から有学の状態に退転することもあり得ると考えられていた[2]

典籍

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ガンダーラ語版の『法句経』の所属部派として飲光部を想定する者もいる[注 5]

7世紀ごろに飲光部の教説書の小さな断片が残存していたことを玄奘義浄が報告している[14]

脚注

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注釈

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  1. ^ 「至三百年末,從說一切有部,復出一部,名飲光部,亦名善歲部。」[5]
  2. ^ See, e.g., Mahāvaṃsa (trans., Geiger, 1912), ch. 5, "The Third Council," retrieved 27 Nov 2008 from "Lakdiva" at http://lakdiva.org/mahavamsa/chap005.html.
  3. ^ 「迦葉維部者。精勤勇決、拯護眾生。應著木蘭袈裟。 」[7]
  4. ^ 「迦葉維部,精勤勇猛攝護眾生,應著木蘭衣。」[10]
  5. ^ See, e.g., Brough (2001), pp. 44–45:
    ... ガンダーラ語のテクストはパーリ語のダンマパダ、ウダーナヴァルガ、マハーヴァストゥを保持する部派には帰属しないと合理的な信頼をもって言うことができる。そしてガンダーラ語のテクストの帰属を主張する準備がない限り、上座部だけでなく説一切有部、説出世部―大衆部は(、そしておそらく、最後に化地部も)帰属先の候補から外される。ありうる主張のなかで、法蔵部と飲光部が適切に違いないが、他の可能性も除外できるものではない

出典

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  1. ^ 木村 2018, p. 137.
  2. ^ a b c Warder, A.K. Indian Buddhism. 2000. pp. 256, 277
  3. ^ 船山 2005, pp. 104–105.
  4. ^ a b Warder (1970/2004), p. 277.
  5. ^ T49n2031 異部宗輪論 | CBETA 漢文大藏經
  6. ^ Baruah, Bibhuti. Buddhist Sects and Sectarianism. 2008. p. 51
  7. ^ T24n1470_002 大比丘三千威儀 第2卷 | CBETA 漢文大藏經
  8. ^ a b Hino, Shoun. Three Mountains and Seven Rivers. 2004. p. 55
  9. ^ a b Bhikku Sujato. Sects & Sectarianism: The Origins of Buddhist Schools. Santi Forest Monastery, 2006. p. i
  10. ^ T24n1465 舍利弗問經 | CBETA 漢文大藏經
  11. ^ Hino, Shoun. Three Mountains and Seven Rivers. 2004. pp. 55-56
  12. ^ Baruah, Bibhuti. Buddhist Sects and Sectarianism. 2008. p. 54
  13. ^ Malalasekera (2003), p. 556, entry for "Kassapiyā, Kassapikā" (retrieved 27 Nov 2008 from "Google Books" at https://books.google.co.jp/books?id=LEn9i9pnRHEC&pg=PA556&lpg=PA556&dq=Kassapiya&source=bl&ots=5Yok7NZCEu&sig=963iBUcouWirVo7UT4zgpWigqJc&hl=en&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#PPA556,M1).
  14. ^ Baruah, Bibhuti. Buddhist Sects and Sectarianism. 2008. p. 52

参考文献

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  • Brough, John (2001). The Gāndhārī Dharmapada. Delhi: Motilal Banarsidass Publishers Private Limited.
  • Geiger, Wilhelm (trans.), assisted by Mabel H. Bode (1912). The Great Chronicle of Ceylon. Pali Text Society. ISBN 08-601-3001-0. Retrieved 27 Nov 2008 from "Lakdiva" at http://lakdiva.org/mahavamsa/.
  • Malalasekera, G.P. (2003). Dictionary of Pali Proper Names. Asian Educational Services. ISBN 81-206-1823-8.
  • Warder, A.K. (1970/2004). Indian Buddhism. Delhi: Motilal Banarsidass. ISBN 81-208-1741-9.
  • 船山徹「真諦三蔵の著作の特徴 : 中印文化交渉の例として」『関西大学東西学術研究所紀要』第38巻、関西大学東西学術研究所、2005年、A97-A122、ISSN 02878151 
  • 木村誠司「チャンキャ『宗義書』における部派仏教に関する記述 (1)」『駒澤大學佛教學部研究紀要』第76巻、駒澤大学、2018年、158-130頁、ISSN 04523628 

関連項目

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