飯田雅雄
大日本帝国陸軍軍人(少将)
飯田 雅雄(いいだ まさお、1891年(明治24年)11月14日[1] - 1968年(昭和43年)9月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
飯田 雅雄 | |
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生誕 |
1891年11月14日 日本 山口県 |
死没 | 1968年9月23日(76歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1891年(明治24年)に山口県で生まれた[1]。陸軍士官学校第24期卒業[1]。1938年(昭和13年)3月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に仙台陸軍教導学校学生隊長に着任[2]。1939年(昭和14年)1月に歩兵第4連隊留守隊長に転じ[2]、1940年(昭和15年)4月に歩兵第213連隊長(第11軍・第33師団・第33歩兵団)に就任して日中戦争に出動[1][2]。贛湘作戦に出撃し[1]、ついで第106師団に代わって安慶に駐屯し[1]、中原会戦などに参加した[1]。1941年(昭和16年)3月1日に第16師団司令部附となり[2]、4月1日に大津連隊区司令官に就任した[2]。
1944年(昭和19年)1月7日に名古屋連隊区司令官に転じ[1]、3月1日に陸軍少将に進級した[2]。1945年(昭和20年)3月9日に第6独立警備隊司令官(北支那方面軍・第12軍)に就任し[1]、中国戦線に復帰[1]。新郷に駐屯して終戦を迎えた[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。