飯島 忠義(いいじま ただよし、1945年6月9日 - )は、日本政治家、元衆議院議員である。

経歴

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神奈川県出身[1]で、1968年早稲田大学教育学部を卒業[1]する。富士ゼロックスアメリカンファミリーに勤務し[1]1979年統一地方選挙戸塚区選出の横浜市議新自由クラブ)となる。1986年に戸塚区南部が分離して栄区が誕生すると栄区選挙区へ移り、1995年まで4期16年間自民党横浜市栄区支部長を務めた。

衆院の小選挙区比例代表並立制導入に伴い神奈川4区が新設された1996年第41回衆議院議員総選挙で、当時争点のひとつであった消費税について撤廃論・凍結論ばかりの中、全国でただ一人「敢えてお願いします。5%」と公報に掲げ、新進党公認の浅尾慶一郎長島一由らを破り初当選し、清和政策研究会に属した。

2000年第42回衆議院議員総選挙で、民主党大石尚子に敗北し比例復活せず落選した。

落選後に公職選挙法違反容疑(事後買収)で逮捕起訴された。執行猶予付き有罪判決が確定して公民権が停止され、自民党神奈川県連から除名された。

属していた団体

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脚注

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  1. ^ a b c 『新訂 現代政治家人名事典』26頁。

参考文献

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関連項目

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