食官長(しょくかんちょう)は、かつて中国にあった官職で、貴人または陵墓のために食事を用意した。食官令と同じ仕事だが、食官長のほうが地位が低い。仕える貴人・陵墓ごとに一人ずつ任命された。

歴史

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前漢

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前漢では、諸侯王に仕える食官長と陵墓に仕える食官長がいた。陵墓の食官の長官は、食官令の場合と食官長の場合があり、食官長は重要度が低い陵墓に配置された[1]。次官として食官丞がついた[1]

諸侯王の食官長は、の平王(劉襄)の母、李太后が食官長と私通したという不名誉な記事で存在が知られる[2][3]

後漢では祭祀対象となる先祖を減らし、陵墓の食官長はなくなったようである。皇帝の姉妹(長公主)に定員一人の食官長が仕えた[4]

南北朝時代

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南北朝時代の南朝のでも、諸侯王に食官長が仕えた[5]

続く南朝のでは、陵廟のために食官長があった[6]

北朝の斉(北斉)には、王国の王に仕える食官長があった[7]

隋・唐

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南北を統一したでは、諸侯王と上柱国柱国公、侯、伯の国に食官長を置いた[8]

続くでは、皇帝の子がなる親王の国に、食官長と次官の食官丞を一人ずつ置いた[9]。食官長の官品は正九品下、食官丞は従九品下であった[10]

脚注

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  1. ^ a b 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』38頁。
  2. ^ 『史記』巻58、梁孝王世家第28、梁平王。ちくま学芸文庫『史記』4の260頁。
  3. ^ 『漢書』巻47、文三王伝第17。ちくま学芸文庫『漢書』4の526頁、梁平王襄。
  4. ^ 『後漢書』巻15、李王鄧来列伝、鄧晨。注が引用する『漢官儀』。
  5. ^ 『隋書』巻26、志21、百巻上、梁。
  6. ^ 『隋書』巻11、志6、礼儀6、衣冠1、陳。
  7. ^ 『隋書』巻27、志第27、百官中、後斉。
  8. ^ 『隋書』巻28、志第23、百官下、隋。
  9. ^ 『旧唐書』巻44、志第24、職官3、王府官属、親王国。
  10. ^ 『新唐書』巻49下、志第39下、百官4下、王府官、親王国。

参考文献

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外部リンク

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