頴川徳助 (5代)
経歴
編集大阪府出身[1]。4代頴川徳助の長男、頴川徳男として生まれる[1][2]。1951年、東京大学農学部林学科卒業、熊本営林局に入局するも、1953年6月大一商社に入社、同年7月同取締役、1957年同社長となる[1]。1958年6月御殿山土地取締役、1964年幸福銀行取締役[1]。1968年5月大阪商工会議所議員、1970年園田学園理事、1973年4月大一商社社長を辞任して幸福銀行副社長、1975年4月同社長となる[1]。1976年5月から1980年5月まで全国相互銀行協会理事を務めた[1]。
1990年10月31日、紺綬褒章受章[3]。1993年秋の褒章で藍綬褒章受章[4]。
1999年、幸福銀行は破綻、頴川はグループ会社へ十分な担保なしに不正融資していた特別背任罪容疑で大阪府警捜査二課と大阪地検特別捜査部に逮捕された[5]。同年10月6日に1件目と同月26日に2件目の特別背任、同年11月6日に強制執行妨害で起訴され[6]、2003年3月19日、大阪地裁で懲役4年6か月の実刑判決を受け、2008年4月23日、上告棄却で確定、高齢のため頴川は収監されなかった[7][8]。これにより藍綬褒章、紺綬褒章を褫奪された[9]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i 『財界家系譜大観』p.179 現代名士家系譜刊行会 1984年
- ^ 『日本の銀行 その人と組織』p.338 政策時報社 1975年
- ^ 『官報』第501号12頁 平成2年11月6日号
- ^ 『官報』号外第189号18-20頁 平成5年11月4日号
- ^ 前田裕之『激震関西金融―危機は封じ込められたのか』p.92 日本経済新聞社 2001年
- ^ 金融機能の再生のための緊急措置に関する法律第13条に基づく報告書(補遺) pp.90-91 平成13年2月16日 幸福銀行
- ^ 四国タイムズ|Shikoku Times ニュース 2003年4月号
- ^ 有森隆『銀行の墓碑銘』p.385 講談社 2009年
- ^ 『官報』第4878号12頁 平成20年7月25日号