須田 万右衛門(萬右衛門、すだ まんえもん、1858年安政5年9月[1][2]) - 1901年明治34年)8月21日[2])は、明治時代の政治家実業家銀行家大地主[3]衆議院議員

経歴

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美濃国武儀郡上有知村(岐阜県武儀郡上有知町、美濃町を経て現美濃市)出身[1]漢学を修める[2]

村会議員、上有知町会議員、武儀郡会議員、岐阜県会議員、製紙改良組合副会頭、美濃紙輸出、美濃鉄道会社各取締役[2]、上有知銀行[注 1][注 2]頭取を歴任した[3]

1894年(明治27年)3月の第3回衆議院議員総選挙では岐阜県第5区から無所属で出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 十六銀行の前身行のひとつ。
  2. ^ 『議会制度七十年史 第11』248頁では有知銀行とあるが誤りか。

出典

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参考文献

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