韓維基
韓 維基(かん いき)は、中国清代の政治家。字は貞子(ていし)。山東省淄川県小田村(現在の淄博市張店区傅家鎮小田村)生まれ。康熙初年、同進士出身になり、その後、山西省聞喜県知県・直隷博野県知県を歴任。彼の為政は清廉かつ公正である。
韓維基 拼音: | |
---|---|
出生地 | 山東省淄川県小田村 |
死没地 | 山東省淄川県 |
在任期間 | 1674年 - 1681年 |
皇帝 | 康熙帝 |
在任期間 | 1681年 - |
略歴
編集韓維基は韓茂材の孫であり、韓光翟の息子である。順治十七年(1660年)、庚子科挙人となり[1]、康熙3年(1664年)、甲辰科三甲一百四十六名進士となる[2]。康熙13年(1674年)、山西省聞喜県知県に任ぜられ[3]、康熙20年(1681年)、直隷博野県知県に変わった。
彼は清廉かつ公正な政治をし、窃盗などの不法行為を厳しく取り締まる。周辺地域の盗賊は彼のことを憚るので県内に入ることはない[4]。
参考文献
編集- 引用
- 書目
外部リンク
編集- 清康煕進士——韓維基 張店区人民政府