韓 楼(韓婁、かん ろう、生年不詳 - 529年)は、北魏の反乱指導者。
葛栄の乱に参加した。528年(永安元年)、郝長らとともに薊城を占拠し、葛栄の死後も幽州を本拠として抵抗を続けた。529年(永安2年)1月、北魏の都督の彭楽率いる2000騎を破り、北魏の行台僕射の于暉を退却に追いこんだ。9月、北魏の大都督の侯淵に薊城で敗れ、斬られた。