靳彊
靳彊(きん きょう)は、紀元前3世紀から紀元前2世紀にかけての中国、秦の末期と前漢初期にいた人物である。生年不明、紀元前185年死。劉邦に従って戦った。中尉、南郡太守、汾陽侯。諡は厳侯[1]または壮侯[2]。
解説
編集秦末の反乱で劉邦軍に加わったが、『史記』と『漢書』で少し異なることがある。『史記』によれば、前2年(紀元前208年)に陽夏で劉邦軍に加わって郎中騎千人となった[3]。『漢書』もほぼ同じだが、前3年(紀元前207年)に櫟陽で従ったことになっている[1]。
鴻門の会では、劉邦が項羽の陣営から逃げ出したとき、剣と盾を持ち徒歩で走って従った4人の中の一人であった[4][5]。
その後楚漢戦争を戦い、中尉となって、項羽の武将鍾離眛を破った[3][1]。
南郡の太守となり、その地の蛮を秦の時代と同様に(君長に貢納させて間接統治で)治めることを請うた[6]。なお、この出来事は年がわからず、次に述べる汾陽侯との前後関係は不明である。
高祖の晩年、高祖11年(紀元前196年)2月辛亥(『漢書』によれば3月辛亥)に汾陽侯に封じられた[1]。諸侯の中で位次は96位である[1]。
脚注
編集参考文献
編集外部リンク
編集- 中央研究院・歴史語言研究所「漢籍電子文献資料庫」。