面高正俊

日本の歴史家 (1913-1985)

面高 正俊(おもだか まさとし、1913年8月4日 - 1985年12月28日[1]は、日本の歴史学者鹿児島大学名誉教授。専門は西洋史で、門割制度など薩摩藩についての研究もおこなった。

鹿児島県南さつま市加世田地域生まれ[1][2]1931年鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)卒業[3]1935年第七高等学校造士館 (旧制)文科卒業[2][4]1938年[2]東京帝国大学文学部西洋史学科卒業[1][2]。神奈川県史跡調査員となるが、戦争に応召され負傷し療養中に終戦[2]。母校の旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校とその後身鹿児島県甲南高等学校で教諭を務めた後[2]1949年鹿児島大学鹿児島師範学校教授に就任[2]。翌年鹿児島大学教育学部助教授、1967年4月鹿児島大学教育学部教授に昇任[2]1979年3月に定年退官し[2]、鹿児島大学名誉教授[1][2]。鹿児島県漕艇教会理事長も務めた[1]。天文学者の面高俊宏鹿児島大学名誉教授は息子[5]

論文

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  • 面高正俊「西欧における農奴制の一考察」『鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編』第20号、鹿児島大学、1-10頁、ISSN 0389-6684NAID 120001394536 
  • 面高正俊「上甑に於ける割地制度--特に薩藩門割制度研究の一環として」『鹿児島大学教育学部教育研究所研究紀要』第6号、鹿児島大学、1954年、50-60頁、ISSN 0389665XNAID 120001393872 
  • 面高正俊「戦後におけるDomesday論考--特にその作成過程について」『鹿児島大学教育学部研究紀要 人文社会科学編』第16号、鹿児島大学、1965年5月、ISSN 03896684NAID 120001394509 
  • 面高正俊「佐々木家を中心として見たる薩藩と延岡藩(有馬家)との関係」『鹿児島大学教育学部研究紀要 人文社会科学編』第18号、鹿児島大学、1966年、1-12頁、ISSN 03896684NAID 120001394512 
  • 面高正俊「少年十字軍の教材論」『鹿児島大学教育学部研究紀要 人文社会科学編』第30号、鹿児島大学、1978年、p139-152、ISSN 03896684NAID 120001394636 

脚注

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  1. ^ a b c d e 『物故者事典 1983~1987』(日外アソシエーツ、1988年)「面高正俊」
  2. ^ a b c d e f g h i j 鹿児島大学教育学部社会科研究室 編『鹿児島の歴史と社会』(伝統と現代社、1979年)面高正俊略歴
  3. ^ 鹿児島県立甲南高等学校『甲南 五十周年記念誌』(1957年)
  4. ^ 七高史研究会『七高造士館で学んだ人々 改訂版』(2001年)
  5. ^ 南日本新聞1999年11月28日朝刊5頁かごしま人紀行