青海神社

日本の香川県坂出市にある神社

青海神社(おおみじんじゃ)は、香川県坂出市に鎮座する神社煙ノ宮(けむりのみや)とも。

青海神社

入口
所在地 香川県坂出市青海町759番
位置 北緯34度20分20.26秒 東経133度55分28.9秒 / 北緯34.3389611度 東経133.924694度 / 34.3389611; 133.924694 (青海神社)座標: 北緯34度20分20.26秒 東経133度55分28.9秒 / 北緯34.3389611度 東経133.924694度 / 34.3389611; 133.924694 (青海神社)
主祭神 顕仁尊(崇徳天皇)、藤原璋子命(待賢門院)
創建 長寛2年(1164年
本殿の様式 入母屋造
地図
青海神社の位置(香川県内)
青海神社
青海神社
テンプレートを表示

歴史

編集

保元の乱1156年)によって讃岐国へ配流された崇徳上皇は、長寛2年(1164年)8月26日[1]に崩御する。上皇の遺体は野澤井の清水に浸し続けられ都からの処置の連絡を待った。荼毘[2]の許可の連絡が来るまで21日経っていたが上皇の顔はきれいだったという。9月16日に野澤井を出発した葬列は、翌日、高屋の阿気辺りで豪雨に遭い棺を台石に置いていると血がしたたり落ちていたという。そして、18日に白峯山上で荼毘に付され、そのときの煙が当地に紫煙棚引き留まるも消え失せた跡に一霊が残ったという、依って、春日神社神官の福家安明が宮殿を造営して上皇の霊を奉斎したと云われている。明治5年(1872)には、村社に列せられ、明治40年(1907年)には、神饌幣帛料供進(しんせんへいはくりょうきょうしん)神社に指定される[3]

この境内より、白峯稜への参拝道である西行法師の道があり、当社の西隣には春日神社がある。

神社拝詞

掛けまくも畏き青神神社の大前を拝み奉りて恐み恐みも曰さく大神等の廣き厚き御恵を辱み奉り高き尊き神教のまにまに天皇を仰ぎ奉り直き正しき真心もちて誠の道に違ふことなく負ひ持つ業に励ましめ給ひ家門高く身健かに世のため人のために尽くさしめ給へと恐み恐みも曰す。

摂社

編集

白木神社、傳徳神社、八幡神社、築留神社、伊勢神社

また、境内外の駐車場付近に、簡素な薬師堂があり、石に彫られた本尊が祀られている。

画像

編集

関連項目

編集
 
高家神社にある御棺基石
  • 崇徳天皇
  • 雲井御所:上皇が讃岐に配流され最初の2年余りの間を過ごした所。
  • 鼓岡神社:上皇が崩御までの6年余りの間生活を営んだという木の丸殿があった所。
  • 白峰宮 (明ノ宮):上皇が雲井御所に滞在中、空海の霊蹟ということでよく行った所といわれ、近くに上皇が好む「岩根の桜」があったという。また、清水があり上皇の亡骸を浸していると毎夜光を放ったということから明ノ宮(あかりのみや)と呼ばれた。
  • 高家神社 (血ノ宮) 香川県坂出市高屋町878番 北緯34度20分9.41秒 東経133度54分47.15秒
八十場から上皇の亡骸を葬送中に風雨雷鳴があり、しばらくお棺を当地に安置してると台石に血が流れたことから血ノ宮と呼ばれる。その台石が本殿の右に奉られている。

脚注

編集
  1. ^ 日付は旧暦にて、以下の日付も
  2. ^ 当時は身分の高い者は火葬され、一般人は土葬されていた。上皇ではあったが追放された身ゆえ火葬には朝廷の許可が必要であった
  3. ^ 現地案内看板より