霊公 (鄭)
霊公(れいこう、生年不詳 - 紀元前605年)は中国春秋時代の鄭の第12代君主。姓は姫。諱は夷。穆公の子。
霊公 姫夷 | |
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鄭 | |
12公 | |
王朝 | 鄭 |
在位期間 | 紀元前605年 |
都城 | 新鄭 |
姓・諱 | 姫夷 |
諡号 | 霊公 |
生年 | 不詳 |
没年 | 紀元前605年 |
父 | 穆公 |
略歴
編集若い頃から楚への人質として送り込まれ、楚の太子侶(のちの荘王)の知遇を得る。父穆公の死後に即位し(霊公)、それまでの親晋外交を親楚に切り替えようと画策し、宰相子家(公子帰生)や子公(公子宋)らと対立する。
食指が動く
編集楚の荘王が
死後
編集子家と子公は賢明と名高かった霊公の弟子良(公子去疾、七穆のひとつ良氏の祖)を鄭君に迎えようとしたが、断られたため、公子堅を即位させた。これが襄公である。さらに、先君の諡を決める際に幽と名づけたが、鄭の人々はこれを哀れみ、子家が死んだ際にはその棺を打ち壊し、その一族を国外に追いやった。そして、幽公と名づけられていた先君の改葬を要求し、宰相となっていた子良はそれをすぐさま承知した。こうして、幽公は改めて霊公と
参考資料
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