雅子内親王
醍醐天皇の九女?十女?。四品・内親王。伊勢斎宮
雅子内親王(がしないしんのう)は、醍醐天皇第10皇女。伊勢斎宮。別称:西四条斎宮(にししじょうさいくう)。のち藤原師輔室。母は更衣・源周子。同母兄弟に源高明らがいる。子女は藤原高光、藤原為光、尋禅、愛宮。
雅子内親王 | |
---|---|
時代 | 平安時代前期 - 中期 |
生誕 | 延喜10年(910年) |
薨去 | 天暦8年8月29日(954年9月28日) |
別名 | 西四条斎宮 |
位階 | 四品 |
父母 | 父:醍醐天皇、母:源周子 |
兄弟 | 勧子内親王、宣子内親王、恭子内親王、克明親王、保明親王、慶子内親王、代明親王、勤子内親王、婉子内親王、都子内親王、重明親王、常明親王、修子内親王、敏子内親王、式明親王、雅子内親王、有明親王、普子内親王、時明親王、長明親王、源高明、兼明親王、源兼子、靖子内親王、源厳子、源自明、韶子内親王、源允明、康子内親王、英子内親王、斉子内親王、朱雀天皇、章明親王、村上天皇、源為明、盛明親王 |
夫 | 藤原師輔 |
子 | 藤原高光、藤原為光、尋禅、愛宮 |
斎宮 | 承平元年12月25日(932年2月9日) - 承平6年3月7日(936年4月6日) |
略歴
編集延喜11年(911年)内親王宣下、四品に叙される。延喜20年(920年)、源氏に賜姓されている。承平元年(932年)12月25日、斎宮に卜定される(賀茂斎院・婉子内親王も同日卜定)。卜定以前に内親王に復されているようだが、史料には見られない。承平2年(933年)6月10日、宮内省へ初斎院入りし、9月28日に野宮に入る。承平3年(934年)9月26日、伊勢へ下向。承平6年(936年)3月7日、母・周子の死去により退下、5月3日に帰京。
天慶2年(939年)頃、藤原師輔と結婚した。3男1女をもうける。天暦8年(954年)8月29日死去。享年45。
斎宮卜定前に藤原敦忠と恋仲であったと言われ、『敦忠集』に2人の情熱的な贈答歌が多く残されている。しかし『大和物語』によれば結婚が決まった矢先に雅子内親王は斎宮に卜定され、2人の恋は実らなかったという。斎宮退下の後は敦忠の従兄弟で同母姉・勤子内親王の夫でもある師輔と結婚、前斎宮の内親王が降嫁した唯一の例となった。