隆州(りゅうしゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から唐代にかけて、現在の四川省南充市一帯に設置された。

魏晋南北朝時代

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南朝梁により設置された北巴州を前身とする。554年廃帝3年)、西魏により北巴州は隆州と改称された。

隋代

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初には、隆州は4郡10県を管轄した。582年開皇2年)、蓬州隆城郡が廃止され、隆州に統合された。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、隆州の属郡は廃止された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、隆州は巴西郡と改称され、下部に10県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
隆州 蓬州 巴西郡
盤竜郡 南宕渠郡 金遷郡 白馬郡 隆城郡 閬内県 南部県 蒼渓県
南充県 相如県 晋城県
西水県 奉国県 儀隆県
大寅県
閬内県
南部県
漢昌県
安漢県
相如県
晋安県
晋城県
西水県
奉国県
義陽県
儀隆県
大寅県

唐代

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618年武徳元年)、により巴西郡は隆州と改められた。隆州は閬中、南部・蒼渓・南充・相如・晋安・西水・新井・奉国・思恭・儀隆・大寅・新政の13県を管轄した。712年先天元年)、玄宗の諱を避けるために隆州は閬州と改称された[2]

脚注

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  1. ^ 隋書』地理志上
  2. ^ 旧唐書』地理志四