隆子女王 (斎宮)
隆子女王(たかこじょおう、生年不詳 - 天延2年閏10月16日(974年12月2日))は、平安時代中期の皇族。伊勢斎宮。章明親王第1王女(醍醐天皇の皇孫)[1]、母は藤原敦敏の女。斎宮済子女王の姉。
隆子女王 | |
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続柄 | 章明親王第一王女 |
出生 |
不明 |
死去 |
天延2年閏10月16日(974年12月2日) 伊勢国多気郡斎宮 (現:三重県多気郡明和町) |
埋葬 | 三重県多気郡明和町 |
父親 | 章明親王 |
母親 | 藤原敦敏女 |
役職 | 伊勢斎宮 |
生涯
編集円融天皇の斎宮として、安和2年11月16日(970年)に卜定される[2]。翌天禄元年(同970年)9月8日、主水司へ初斎院入り[2]。同年9月30日、野宮に遷る[2]。同2年(971年)9月23日、伊勢へ群行[2]。3年後の天延2年(974年)閏10月16日[1]、流行していた疱瘡のため伊勢斎宮にて卒去[3]。飛鳥時代以降、伊勢で在任中に亡くなった最初の斎宮である[4]。三重県多気郡明和町には、宮内庁によって治定された隆子女王の墓が所在し、日本遺産「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」の構成要素となっている[5][6]。
脚注
編集参考文献
編集- 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年。
- 山中智恵子『続斎宮志』(砂子屋書房、1992年) ISBN 4-7904-9221-4
外部リンク
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