院誉
院誉(いんよ、生没年不詳)は、鎌倉時代末から南北朝時代にかけて、鎌倉を拠点にした院派仏師。淡路法橋カ。三河法橋院恵の子。
略歴
編集三河法橋の方の院恵の子に生まれる。山本勉は鎌倉弁谷に居住の法橋院光と同一人物とみる[1]。
元亨4年(1324年)2月、比丘尼慈仙を願主として鎌倉極楽寺末寺の真言律宗長福寺 (いわき市)の本尊として木造地蔵菩薩坐像(国指定重要文化財)を製作[2]。
その2年後の正中3年(1326年)には、北郷領主岩崎隆連を施主、比丘善来を願主として木造薬師如来坐像(福島県指定重要文化財)を製作[3]。
作風
編集山本勉は、鎌倉中期・後期に派を超えて東日本の各地で見られる、法衣垂下、遊戯坐、土紋の技法、上げ底式内刳り技法が導入されているとみる。
丹波国分寺院誉
編集清水眞澄「院派仏師事蹟年表」(『中世彫刻史の研究』有隣堂、1989年所収)の、明徳3年(1392年)に地蔵菩薩像(山梨・広教寺蔵)を造立し、翌4年に丹波国分寺地頭職を安堵された院誉は、間隔が空き過ぎていることから、同名の別人とみられる。
参考文献
編集- 『中世彫刻史の研究』(清水眞澄、有隣堂、1989年)
- 『いわき市の文化財』(2017年、p.20,48)
- 『鎌倉時代仏師列伝』(山本勉、武笠朗、吉川弘文館、2023年、p.224)