阿部亀彦
阿部 亀彦(あべ かめひこ、1875年(明治8年)9月1日[1] - 1928年(昭和3年)7月26日[2])は、日本の内務官僚。官選県知事。板垣伯銅像記念碑建設同志会会長[3]。
来歴
編集大分県出身。藩士・阿部寛平の四男として生まれ、伯父・阿部富太郎の養子となる[4]。第五高等学校を卒業。1904年、東京帝国大学法科大学を卒業。1905年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し静岡県属となる[4][5]。
以後、宮崎県事務官、栃木県事務官・第二部長[6]、福島県事務官・警察部長、埼玉県内務部長、宮城県内務部長、兵庫県内務部長などを歴任[4]。
大正8年(1919年)4月、高知県知事に就任[7]。1922年10月、広島県知事に転任。1923年10月、知事を辞任し退官した[4][5]。
家族
編集補註
編集参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。