阿蘇登山道路
(阿蘇登山有料道路から転送)
概要
編集計画・建設
編集もともとは熊本県によって建設が開始された。国の特定道路整備事業貸付を主な財源として、1954年度に完成予定であった[1]。その後、道路建設促進のために1956年(昭和31年)に日本道路公団が設立され、阿蘇登山道路の工事も同年8月1日に県から公団へ引き継がれた[2]。1957年(昭和32年)10月6日に坊中と山上間の15.3kmが供用開始された。
プール制と無償化
編集高度経済成長に伴う自家用車の普及により、阿蘇登山道路の利用者は当初の計画を大きく上回った。1960年度実績で予定収入に対して139%の実績を記録し[3]、建設費の償還と無料化も当初予定の1977年から大幅に前倒しされると予測された[4][5]。
しかし阿蘇登山道路が無料化することで、1965年に開通した阿蘇山観光有料道路の利用者が減少し経営が困難になるとの危惧から、両者をプール制で運営し同時に償還する方法が検討された[5]。結局阿蘇登山道路は1970年(昭和45年)7月1日に熊本県企業局に引き継がれた。
2000年(平成12年)4月8日から無料となり、熊本県道111号阿蘇吉田線及び熊本県道298号阿蘇公園下野線として、熊本県が管理している。無料化後の道路の愛称は、阿蘇パノラマラインとよばれている[6]。
脚注
編集- ^ 大蔵委員会 第20号 昭和28年7月16日. 第16回国会 参議院. 16 July 1953.
(小林政夫委員の質疑に対する建設省道路局長富樫凱一政府委員の説明)この事業の進捗状況でございますが(中略)阿蘇登山道路(中略)いずれも二十九年度に完成の予定でございます。
- ^ 建設委員会 第2号 昭和31年11月27日. 第25回国会 衆議院. 27 November 1956.
(日本道路公団総裁岸道三参考人の説明)府県から引き継いだものは(中略)工事中のものは(中略)阿蘇登山道路、
- ^ 「実入りも快調、有料道路」『朝日新聞』1962年4月9日、東京 朝刊、10面。
- ^ 「営業成績ぐっと好調」『朝日新聞』1967年5月5日、東京 朝刊、14面。
- ^ a b 建設委員会 第2号 昭和45年2月26日. 第63回国会 参議院. 26 February 1970.
(沢田政治委員の調査報告)道路公団の阿蘇登山道路、県営阿蘇山観光有料道路(中略)県営道路は、公団道路から分技して競合しているとの特別な地理的関係にあり、昭和五十二年償還予定の公団道路が計画を上回わり本年中に償還済みとなると県営道路の経営が成り立たたなくなるという特殊事情にあります。
- ^ 佐々木・石野・伊藤 2015, p. 125.
参考文献
編集- 佐々木節、石野哲也、伊藤もずく 著、松井謙介編 編『絶景ドライブ100選[新装版]』学研パブリッシング〈GAKKEN MOOK〉、2015年9月30日。ISBN 978-4-05-610907-8。