阿沼美神社
阿沼美神社(あぬみじんじゃ)は、愛媛県松山市にある神社。『延喜式神名帳』に「伊予国温泉郡 阿沼美神社」として名神大社に列する神社である。現在は味酒町と平田町に論社がある。
概要
編集温泉郡四座の中で唯一の大社であったが、早くに衰微し、その所在はわからなくなっていた。現在は味酒町と平田町に論社があるが、いずれも確証を欠いている。
なお「阿治美神社」と書かれた写本もあり、「アジミ」と訓がつけられている。これは誤記であるという説[1]の一方、「アジミ」は熱水(あつみ)で温泉の意味という説もある。
天保4年(1833年)平田村の三島新宮社前から南北朝時代の「阿沼美宮」の石額が見つかり、翌年、阿沼美神社と改称した。しかし平田村が温泉郡ではなく和気郡に属するところから疑義が出され、温泉郡味酒村の味酒神社との間で論争となった。味酒神社は明治3年(1870年)県社に列格し、社号を阿沼美神社に改めた。
阿沼美神社 (味酒町)
編集阿沼美神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 愛媛県松山市味酒町3-1-1 |
位置 | 北緯33度50分45.7秒 東経132度45分23秒 / 北緯33.846028度 東経132.75639度 |
主祭神 |
大山積命 味耳命 |
社格等 |
式内社(名神大)論社 旧県社 |
創建 | 天智天皇3年(664年) |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 10月6日 |
主な神事 |
夏越大祓式(輪越、6月30日) 味酒天満神社例大祭(7月25日) |
阿沼美神社(あぬみじんじゃ)は、愛媛県松山市味酒町にある神社。旧社格は県社。神紋は「傍折敷角切縮三文字」で、河野氏の家紋に同じ。
祭神
編集- 主祭神
- 大山積命 (おおやまづみのみこと)
- 高龗神 (たかおかみのかみ、龗は靈の巫を龍にした字)
- 雷神 (いかずちのかみ)
- 味耳命 (うましみみのみこと) - 高御魂命八世の裔孫だが事蹟不詳。久米氏や伊予の久味国造の遠祖。
- 合祀
歴史
編集社伝によれば、越智守興が天智天皇3年(664年)に創建したとされる。味耳命の後裔である久米氏の氏神でもあったとされる。もとは現在松山城の建つ勝山の頂上にあり、「勝山三島大明神」とも称していた。慶長7年(1602年)加藤嘉明が松山城を築く際、味酒村に移されたことから「味酒神社」と称するようになった。
その後も歴代松山藩主から篤く崇敬された。当時、味酒神社の行宮所は堀之内の西ノ馬場と城山東麓の杉谷にあり、それぞれ松山城の裏鬼門・表鬼門とされていた。また、通りを南に一つ隔てた曹洞宗江勝山雲祥寺は、明治4年(1871年)の神仏分離令が出るまで、阿沼美神社の別当寺として社僧が仕えていたとされる。
元禄14年(1701年)に社殿を改造。
明治3年(1870年)、式内社・阿沼美神社とされて近代社格制度において県社に列格し、社号を旧称の「阿沼美神社」に復した。
昭和20年(1945年)7月の松山空襲で、社殿など数多くの建物が焼失し、昭和32年(1957年)8月、鉄筋コンクリートの社殿が完成した。
境内
編集- 本殿
- 拝殿 - 内部には、旧伊予松山藩藩主の嫡流で元愛媛県知事の久松定武が揮毫した社号の額面が掲げられている
摂末社
編集境内東側(本殿側より)
- 金刀比羅神社 (ことひらじんじゃ)
- 味酒天満神社 (みさけてんまんじんじゃ)
- 勝山八幡神社 (かつやまはちまんじんじゃ)
- 伊余夷子神社 (いよえびすじんじゃ)
- 祭神:蛭子命
境内西側
主な祭事
編集- 元旦祭(1月1日)
- 祈年祭(2月17日)
- 如月祭(2月25日)
- 初午祭(旧2月上午の日)
- 社日祭(3月上午の日)
- 夷子祭(4月20日)
- 夏越祭(6月30日)
- 天神祭(7月24日、7月25日)
- 例祭(10月5日に宵宮祭、10月6日に古式之例大祭、10月7日に神幸祭(後宮祭))
- 6月30日の夏越大祓式と7月24日の味酒天神祭宵宮には、隣接する萱町商店街で輪越夜市、天神夜市が夕方より開催され露店が出店し多くの人が集まる。
現地情報
編集- 所在地
- 交通アクセス
- 周辺施設
外部リンク
編集- 阿沼美神社(愛媛県神社庁)
阿沼美神社 (平田町)
編集阿沼美神社 | |
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本殿 | |
所在地 | 愛媛県松山市平田町宮内983 |
位置 | 北緯33度53分18秒 東経132度45分17秒 / 北緯33.88833度 東経132.75472度 |
主祭神 | 大山祇命 |
社格等 |
式内社(名神大)論社 旧郷社 |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 10月4日 |
阿沼美神社(あぬみじんじゃ)は、愛媛県松山市平田町にある神社。旧社格は郷社。
概要
編集社伝によれば、当地は景行天皇の皇子で伊予御村別氏の祖である武国凝別命、日本武尊の子で伊予別君の祖である十城別王が居住した場所で、歴代の伊予別君が阿沼美神を祀っていたとされる。
その後、河野氏が大山祇神を合祀して「阿沼美三島大明神」と改め、のち「阿沼美三島新宮」と称した。しかし、河野氏滅亡後は単に「三島新宮」と呼ばれるようになったという。
天明2年(1782年)本殿より「阿沼美三島新宮」という棟札が見つかった。さらに天保4年(1833年)社前にある神橋の地下から、延文5年(1360年)のものとされる「阿沼美宮」と彫られた石額が掘り出された。そこで、翌天保5年(1834年)吉田家から式内社・阿沼美神社とする裁許を受け、社号を改めた。
祭神
編集摂末社
編集- 貴布祢神社・十六皇子神社・神殿神社合殿
- 阿奈波大明神・稲荷神社・多賀大神宮合殿
現地情報
編集- 所在地
- 交通アクセス
外部リンク
編集- 阿沼美神社(愛媛県神社庁)
脚注
編集- ^ 『愛媛県の地名』阿沼美神社(松山市味酒町)項。
参考文献
編集- 『日本歴史地名大系 愛媛県の地名』(平凡社)松山市 阿沼美神社(松山市味酒町)項、阿沼美神社(松山市平田町)項