阿倍 意宇麻呂(あべ の おうまろ)は、奈良時代の貴族。名は億宇麻呂とも記される。官位は従五位上・主船正。
天平宝字2年(758年)従五位下に叙爵。天平宝字4年(760年)内蔵助、天平宝字5年(761年)大炊頭と淳仁朝では京官を務めるが、天平宝字7年(763年)出雲介として地方官に転じる。
称徳朝の神護景雲3年(769年)主船正として京官に復し、光仁朝の宝亀2年(771年)従五位上に叙せられている。
『続日本紀』による。