阿倍 人(あべ の ひと、生没年不詳)は、飛鳥時代の豪族。名は比等古とも記される。姓は臣。阿倍大麻呂または阿倍目の子とする系図がある。
用明朝において、遣使として高句麗に渡る。これに因んで子孫は狛(狛朝臣)姓を称した[1]。
用明天皇2年(587年)大臣・蘇我馬子が諸皇子や群臣に勧めて、大連・物部守屋を滅ぼそうと謀る。泊瀬部皇子・厩戸皇子・蘇我馬子らがともに軍勢を率いて守屋を討った。この時、阿倍人は大伴噛・平群神手・坂本糠手らと軍兵を率いて志紀郡から渋河郡の守屋の家に到った(丁未の乱)[2]。