防鎖
防鎖(ぼうさ、英語: boom, chain)は、港や河川を封鎖し船舶の通行を妨げるために用いられる太く頑丈な鎖[1]。一般に軍事目的で、敵の侵入を阻むために設置される。近現代においては潜水艦の侵入を阻止する防潜網が挙げられる。また河川に設置し、船舶から通行料をとる例も見られた[2]。
概要
編集英語ではブーム(boom)とチェーン(chain)という2通りの言葉があるが、ブームは水面に浮く防材のみを指すのに対し、チェーンは加えて水中に渡す防鎖も指す。
中世ヨーロッパの港では、湾口の両岸に鎖塔が建てられ、ここから常に鎖が渡されていた。平時は鎖を緩めて沈めているのだが、戦時には巻き上げて水面に引き上げ、湾口を封鎖するのである。 これにより味方を通行させ、敵を妨げるというような応変の制御が容易にできた。鎖の巻き上げ・巻き下げには、ウィンドラス(ハンドル式揚錨機)やキャプスタン(絞盤)が用いられることもあった[3]。
防鎖の有効性
編集防鎖による防衛は万全というわけではなく、しばしば大型船の強行突破を受け破壊されてしまうこともあった。例としてダミエッタ包囲戦、メドウェイ川襲撃、ビーゴ湾の海戦が挙げられる[4][5][6][7]A。またロンドンデリー包囲戦ではロングボートによる体当たりで突破されている。
防鎖はそれ自体が防衛設備であるが、港湾防衛の要としてさらに周辺の防衛施設で守られるのが常だった。帆船時代には、防鎖の後ろには常に数隻の軍艦が控えており、防鎖の破壊を試みる敵船を舷側砲で撃退した。また何本もの鎖を並べてより強固な封鎖とすることもあった。
ギャラリー
編集著名な防鎖
編集- レオの市街 - 教皇レオ4世によりローマを防衛するために建設された城壁。テヴェレ川を封鎖する鎖も設置された。
- 金角湾 - コンスタンティノープルの最大の弱点である北岸を防衛するために防鎖がひかれたが、1453年のコンスタンティノープル陥落時にはメフメト2世の迂回策により無力化された。
- メドウェイ川 - 第二次英蘭戦争でイングランドが封鎖。メドウェイ川襲撃で破壊された。
- ハドソン川の防鎖 - アメリカ独立戦争でアメリカが設置。
- パラナ川 - ブエルタ・デ・オブリガードの戦いでアルゼンチンが設置。
注釈
編集- A.^ ダミエッタ包囲戦とメドウェイ川襲撃については、敵船によって破壊されたのではなく事前に解体されていたという資料もある。
脚注
編集- ^ Philip Davis (May 7, 2012). “Site types in the Gatehouse listings — Chain Tower”. Gatehouse. October 17, 2013閲覧。
- ^ Boom Towers, Norwich
- ^ Bob Hind (January 27, 2013). “Filling in the missing links on history of harbour chain”. The News October 17, 2013閲覧。
- ^ Gibbon, Edward. The History of the Decline and Fall of the Roman Empire, Volume 6. p. 510
- ^ “THE DUTCH IN THE MEDWAY - 1667”. M.A. de Ruyter Foundation. October 21, 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。October 21, 2013閲覧。
- ^ Hervey, Frederic (1779). The Naval History of Great Britain: From the Earliest Times to the Rising of the Parliament in 1779. W Adlard. pp. 77
- ^ Long, WH (2010). Medals of the British Navy and How They Were Won. Great Britain: Lancer Publishers. p. 24. ISBN 9781935501275
関連項目
編集- Baum (Sperranlage) - 関税を徴取し、夜間時などの侵入を塞ぐための浮く防材を含めた防御施設。
- 船番所 - 江戸時代の船の関税徴収所。