関寺

近江国逢坂関の東にあったとされる寺院

関寺世喜寺、せきでら)は、かつて近江国逢坂関の北(滋賀県大津市逢坂2丁目付近)にあったとされる寺院。現在は存在しないが、長安寺がその跡地に建てられているとする説がある。

創建年次は不明であるが、976年貞元元年)の地震で倒壊したのを源信の弟子である延鏡が、仏師康尚らの助力を得て1027年万寿4年)に再興した。その時、清水寺僧侶寄進によって用いられた役牛の1匹が迦葉仏の化現であるとの夢告を受けたとする話があり、その噂を聞いた人々が件の牛との結縁を求めて殺到し、その中に藤原道長源倫子夫妻もいたという。そして、その牛が入滅した際には源経頼が遭遇したことが『左経記』(1025年6月29日(万寿2年6月2日)条)に見え、その後菅原師長が『関寺縁起』を著した(なお、長安寺には牛の墓とされる石造宝塔が残されており重要文化財となっている)。また、倒壊前には老衰零落した小野小町が同寺の近くに庵を結んでいたとする伝説があり、謡曲関寺小町』として伝えられている。また、同寺に安置されていた5丈の弥勒仏は「関寺大仏」と呼ばれ、大和国東大寺河内国太平寺(智識寺)の大仏と並び称された。南北朝時代に廃絶したと言われている。

参考文献

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  • 西口順子「関寺縁起」(『国史大辞典 8』(吉川弘文館、1987年) ISBN 978-4-642-00508-1
  • 山本吉左右「関寺」(『日本史大事典 4』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13104-8
  • 宇野茂樹「関寺」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-040-31700-7