門田 康澄(かどた やすずみ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。長宗我部氏の家臣。
紀伊国根来衆の出身。天正年間(1573年~1592年)に土佐国に渡って長宗我部元親に仕え、はじめは能勢次郎兵衛と称した。その後、伊予国の美間郷高森の合戦で功を立てたことにより、長岡郡門田郷を与えられて門田氏と称した[1]。
文禄2年(1593年)、病気となり朝鮮の役に参加できず、翌年に58歳で死去した[1]。