長野市立芋井小学校
長野県長野市にある小学校
長野市立芋井小学校(ながのしりつ いもいしょうがっこう)は、長野県長野市桜にある公立小学校。
長野市立芋井小学校 | |
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北緯36度40分44秒 東経138度08分59秒 / 北緯36.678972度 東経138.149611度座標: 北緯36度40分44秒 東経138度08分59秒 / 北緯36.678972度 東経138.149611度 | |
過去の名称 |
芋井尋常高等小学校 芋井国民学校 芋井村立芋井小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長野市 |
併合学校 |
芋井東尋常小学校 芋井東尋常高等小学校 芋井西尋常小学校 |
設立年月日 | 1908年 |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 |
長野市立芋井小学校第一分校(休校中) 長野市立芋井小学校第二分校(廃校) 長野市立芋井小学校第三分校(廃校) |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B120220100193 |
所在地 | 〒380-0885 |
長野県長野市桜600番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集長野市中心部西側の芋井地区にある学校であり、市の中心部から近接している中山間地に位置している。第二次世界大戦後に3ヶ所の分校が設置されたが、いずれも児童数の減少により、1校を休校・2校を廃校にして、2007年からは本校に統合された。2012年までは長野市立芋井中学校と併設し、小中一貫教育が行われていた。[1]
校章・校歌
編集リトアニア共和国との交流
編集沿革
編集本校
編集- 1908年(明治41年) - 芋井東尋常小学校・芋井東尋常高等小学校・芋井西尋常小学校と統合し、芋井尋常高等小学校として開校する。[5]
- 1928年(昭和3年) - 校歌の制定[3]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、芋井国民学校と改称する[5]。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、芋井村立芋井小学校と改称し、同時に芋井村立芋井小学校第一分校・芋井村立芋井小学校第二分校・芋井村立芋井小学校第三分校を開校する[5]。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 芋井村の長野市への編入合併に伴い、長野市立芋井小学校および同第一分校・同第二分校・同第三分校に改称する。[5]
- 1956年(昭和31年) - 校章を制定する。[5]
- 1966年(昭和41年)3月31日 - 長野市立芋井小学校第三分校が廃校になり、統合される。[5]
- 1970年(昭和45年)3月31日 - 飯綱冬季分室が廃校になる。[5]
- 1976年(昭和51年)3月31日 - 長野市立芋井小学校第二分校が廃校になり、統合される。[5]
- 2007年(平成19年)
第一分校
編集-
長野市立芋井小学校第一分校体育館新築記念で制作された灰皿
建物の概要
編集本校舎
編集-
正門
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玄関
-
校庭
第一分校
編集木造2階建の校舎と体育館がある。また、プールやグラウンドも完備されている。
第ニ分校跡
編集芋井社会会館となった現在では、当時の建物は現存しないものの、プールやグラウンドの跡が残る。また、廃校時の石碑が設置されている。
学校行事
編集校区
編集2021年現在。2007年4月1日より第一分校区が休校扱いとなり、全学年が本校区に通学している[10]
本校区
編集- 上ケ屋(一部)、泉平、入山(一部地域は5・6年生のみ)、桜、鑪、富田、広瀬(一部)
第一分校区
編集- 広瀬(一部)、入山(一部地域・4年生まで)
進学先中学校
編集関連項目
編集脚注
編集- ^ “学校の紹介”. 長野市立芋井小学校. 2014年2月14日閲覧。
- ^ “校章”. 長野市立芋井小学校. 2014年2月14日閲覧。
- ^ a b “芋井中学校校歌”. 長野市立芋井中学校. 2021年10月1日閲覧。
- ^ “一校一国運動(オリンピック応援)”. 長野市立芋井小学校. 2014年2月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “創立・歴史”. 長野市立芋井小学校. 2021年10月1日閲覧。
- ^ “百周年記念式典”. 長野市立芋井小学校. 2021年10月1日閲覧。
- ^ a b “第一分校閉校式”. 長野市立芋井小学校. 2014年2月14日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “R1 全校宿泊体験学習”. 長野市立芋井小学校. 2021年10月1日閲覧。
- ^ “スキー教室”. 長野市立芋井小学校. 2014年2月16日閲覧。
- ^ 長野市通学区域一覧表 - ウェイバックマシン(2013年9月3日アーカイブ分)