長谷川藤直
伊勢北畠家の旧臣
長谷川 藤直(はせがわ ふじなお)は、戦国時代の人物。通称は三郎左衛門[1]。娘・奈津(清雲院)は徳川家康の側室となった。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 大永2年(1522年)? |
死没 | 天正9年8月6日(1581年9月3日) |
別名 | 三郎左衛門 |
戒名 | 本鏡真空 |
主君 | 北畠具教、長野具藤 |
氏族 | 進藤氏、長谷川氏 |
父母 | 父:進藤義俊 |
子 | 重吉、藤広、奈津(清雲院)、藤継 |
略歴
編集父は進藤義俊[1]。藤直のとき、外家(母の実家[2])の「長谷川」を称したと伝わる[1]。
はじめ伊勢国国司・北畠具教に仕えた[3]。後に、具教の次男・具藤が長野家の養子となったことに伴い、これに従った[4][1] 。
脚注
編集参考文献
編集- 堀田正敦等 編「巻第795」『寛政重修諸家譜』 第五輯、栄進舎出版部、1918年。NDLJP:1879146。(要登録)
- 「幕府祚胤伝」『徳川諸家系譜』 第二、続群書類従完成会、1974年8月30日。NDLJP:12211157。(要登録)
- 『徳川将軍家墓碑総覧』(パレード、2008年、72p)