長谷川耕南
日本の書道家
長谷川 耕南(はせがわ こうなん、1905年〈明治38年〉 - 1977年〈昭和52年〉)は、日本の書道家。勲四等 瑞宝章。
主な功績
編集経歴
編集- 1905年(明治38年)
- 1918年(大正7年)
- 4月 杉山南園に就き書道ならびに漢籍を学ぶ[1]
- 1923年(大正12年)
- 9月 関東大震災が発生し、「薄幸者救済団」を組織、自ら団長となる
- 1925年(大正15年)
- 1930年(昭和5年)
- 1931年(昭和6年)
- 1932年(昭和7年)
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和09年)
- 1935年(昭和10年)
- 1938年(昭和13年)
- 1939年(昭和14年)
- 1941年(昭和16年)
- 1942年(昭和17年)
- 1943年(昭和18年)
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)
- 1957年(昭和32年)
- 墨林会創立二十五周年記念祝賀大会を開催(千代田公会堂 参会者千百名)[1]
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)
- 1965年(昭和40年)
- 7月 月刊誌「墨林」を「書鏡」に改題[1]
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)
- 1970年(昭和45年)
- 8月 武蔵御嶽山書道講習会(毎年一回三日間)を始める[1]
- 1973年(昭和48年)
- 1976年(昭和51年)
- 1977年(昭和52年)