長西(ちょうさい、元暦元年(1184年)- 文永3年1月6日1266年2月12日))は、鎌倉時代中期の浄土宗。父は伊予守藤原国明讃岐国で生まれた。房号は覚明房。九品寺義の祖。

略歴

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9歳のときに上洛、19歳で出家して法然に師事した。京都九品寺に住したことから、長西および長西の門流は九品寺流あるいは九品寺義と呼ばれる。また長西は、念仏以外の諸行も阿弥陀仏の本願であり、諸行でも極楽往生は可能であるとの見解を示したことから、諸行本願義(しょぎょうほんがんぎ)とも称される。これは、師である法然が説いた諸行非本願の教えに違背するものとして、法然門下内からは厳しい批判にさらされた。一方で聖道門の諸宗からは好意的に受容され、一時は鎌倉を中心にかなりの隆盛を誇っていたようである。

著書に『浄土依憑経論意疏目録』・『観経疏光明抄』(残欠本)・『法事讃光明抄』・『往生礼讃光明抄』(巻2、3が現存)・『群疑論疑芥』(巻6、7、8が現存)等がある。

参考文献

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  • 石橋誡道『九品寺流長西教義の研究』(復刻版<浄土宗学研究叢書>国書刊行会、1984年)
  • 吉田淳雄「長西の著作について」(『仏教論叢』44、2000年)