長正路
長 正路(ちょう まさみち、1910年(明治43年)1月28日[1] - 1984年(昭和59年)4月22日[2][3])は、昭和期の労働運動家、新聞記者、実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
編集福岡県[2][3]糟屋郡大川村[4](現粕屋町)で生まれる。福岡県福岡工業学校(現福岡県立福岡工業高等学校)を中退後[4]、上京して専修大学経済科で学んだが中退した[3][4][注 1]。労働運動に加わり、1937年(昭和12年)上海で開催された極東反戦学生会議に出席[4]。労働組合全国評議会中央執行委員、日本無産党中央執行委員を務めた[3]。その後、読売新聞社記者、都新聞社記者を経て、南旺映画の取締役に就任した[3][4]。太平洋戦争では南方軍嘱託となりサイゴン(現ホーチミン市)で文化工作に従事して終戦を迎えた[3][4]。
1945年(昭和20年)日本社会党の創立に加わった[2][4]。1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙で福岡県第1区から右派社会党公認で出馬して落選[5]。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙に出馬して当選し[2][3][6]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。この間、社会党中央委員、同党福岡県連合会書記長、同副会長などを務めた[3]。その後、第27回、同補欠選挙(1956年11月)、第28回、第29回総選挙に立候補したがいずれも落選した[7]。1960年(昭和35年)民主社会党(民社党)の結党に参画し同党福岡県連副委員長に就任した[2]。
その他、大勢鉱業常務取締役となった[3]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』392頁では専修大学経済科卒。
出典
編集参考文献
編集- ふるさと人物記刊行会編『ふるさと人物記』夕刊フクニチ新聞社、1956年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。