長林勝由
大日本帝国陸軍軍人
長林 勝由(ながばやし かつよし、1894年(明治27年)6月18日[1] - 1982年(昭和57年)2月7日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
長林 勝由 | |
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生誕 |
1894年6月18日 日本 石川県 |
死没 | 1982年2月7日(87歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1916年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1894年(明治27年)に石川県で生まれた[1]。陸軍士官学校第28期卒業[2]。1940年(昭和15年)8月1日に陸軍砲兵大佐進級と同時に野砲兵第34連隊長(第11軍・第34師団)に就任し[3]、日中戦争に出動[1]。南昌に展開し[1]、国民革命軍第19集団軍と戦った[1]。1941年(昭和16年)3月に気球連隊長(東部軍砲兵隊)に転じ[3]、太平洋戦争に出征[1]。1943年(昭和18年)6月には東部軍砲兵隊高級部員に就任した[3]。
1945年(昭和20年)6月1日に第11砲兵司令官(第1総軍・第12方面軍・第53軍)に就任し[1][2]、6月10日に陸軍少将に進級した[3]。神奈川県平塚周辺に展開し[2]、本土決戦に備える中で終戦を迎えた[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。