長勝寺 (潮来市)
長勝寺(ちょうしょうじ)は、茨城県潮来市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は海雲山。本尊は阿弥陀如来。銅鐘は、国の重要文化財である。
本堂 | |
所在地 | 茨城県潮来市潮来428 |
位置 | 北緯35度56分30.7秒 東経140度32分43.1秒 / 北緯35.941861度 東経140.545306度座標: 北緯35度56分30.7秒 東経140度32分43.1秒 / 北緯35.941861度 東経140.545306度 |
山号 | 海雲山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
札所等 | 常陸七福神(福禄寿) |
文化財 | 銅鐘(国の重要文化財) |
法人番号 | 8050005006542 |
概要
編集潮来市内の稲荷山とよばれる丘を背にして、JR潮来駅にほど近い市街地内にある寺院。文治元年(1185年)に源頼朝によって創建されたといわれており、江戸時代に徳川光圀が諸堂宇を修復し、大獄祖清和尚に住持させた。近世の朱印は10石で、寺運は隆盛して現在に法灯を継いでいる[1]。楼門(山門)と、奥にある阿弥陀三尊を本尊とする入母屋造り茅葺の仏殿(本堂)は禅宗様建築の遺構で禅寺の風格を保つ[2]。また、中朱門の中の庫裡・書院等も元禄時代の建築で、水戸徳川家ゆかりの宝物を収蔵している[2]。これら建物のすべては、茨城県の文化財に指定されている。また、国の重要文化財に指定されている銅鐘は、鎌倉幕府第14代執権である北条高時の寄進で、元徳2年(1330年)の鋳造である[2]。
約1万5000平方メートルある境内地には、源頼朝創建の年号に因む文治梅(ふんじばい)とよばれる古木のほか、松尾芭蕉の「旅人と我名呼ばれむ初しぐれ」の句を刻した時雨塚、鹿島紀行で地元の自準亭松江(じじゅんていしょうこう)との交流を示す連句の碑がある[2]。
歴史
編集この寺の創建年代等については江戸時代に火災などにあったことなどから不詳であるが、文治元年(1185年)に源頼朝が武運長久を祈って創建されたという[2][1]。
江戸時代には、元禄4年(1691年)伽藍の荒廃を惜しんだ徳川光圀が、堂宇を修復して妙心寺の253世住職をつとめた太嶽祖清禅師を中興開山として迎えた[1]。江戸幕府から朱印十石ならびに寺領地が与えられた[2]。1984年(昭和59年)に、本堂と山門の解体修理が行われた[1]。
文化財
編集重要文化財(国指定)
編集- 銅鐘 元徳庚午十月の銘あり(1330年作)
- 元徳2年(1330年)、鎌倉幕府14代執権・北条高時が下総国府城主千葉五郎禅門道暁との発起により、長勝寺の創建者である源頼朝の菩提のために寄進したものである。鐘銘と序文の中に寺の沿革が記されている[1]。鐘銘ならびに序文の作者は、中国から来朝して鎌倉円覚寺16代清拙正澄和尚(大鏡禅師)で、鋳物師は甲斐権守卜部助光である。総高115 cm、身高84.8 cm、竜頭高24.5 cm、口径66.3 cmの鋳銅。上下帯は無文で乳は4弾4列、撞座(つきざ)は2個正位置にあり、形状は小型ながら鎌倉時代の特徴をよく示している[3]。銘文中に「客船夜泊常陸蘇城」の語が記されており、中国蘇州を彷彿させる当時の潮来の繁栄と風光明媚な情景をうかがい知るうえで貴重な資料となっている[1][3]。1911年(明治44年)8月9日、重要文化財(旧国宝)に指定[3]。
茨城県指定有形文化財
編集ギャラリー
編集-
長勝寺の正門
-
長勝寺のボダイジュ
-
長勝寺の玄関
-
境内
脚注
編集- ^ a b c d e f g ゼンリン・人文社 1997, p. 182.
- ^ a b c d e f 海雲山長勝寺 (屋外案内板). 長勝寺境内(茨城県潮来市): 潮来市教育委員会.
- ^ a b c 銅鐘(附鐘銘拓本) (屋外案内板). 長勝寺境内(茨城県潮来市): 潮来市教育委員会. 2012.
- ^ a b c 長勝寺山門 (屋外案内板). 長勝寺境内(茨城県潮来市): 潮来市教育委員会. 2012.
- ^ 現地の案内看板(潮来市設置)には「方七間」とあり、茨城県教育委員会サイトにある長勝寺本堂の解説には「方三間」とあるが、後者が正当である(本ページにある本堂の画像を参照)。
- ^ a b c 長勝寺本堂 (屋外案内板). 長勝寺境内(茨城県潮来市): 潮来市教育委員会. 2012.
- ^ “長勝寺本堂”. 茨城県教育委員会ホームページ. 茨城県教育委員会. 2017年11月12日閲覧。
参考文献
編集- 齋藤建夫 編 編『郷土資料辞典 ふるさとの文化遺産』 第8巻 茨城県(初版)、ゼンリン・人文社、1997年3月10日。ISBN 4795910936。