鏑木梅渓
1749-1803, 江戸時代中期~後期の長崎派の画家。平世胤とも名乗った。
鏑木 梅溪(かぶらぎ ばいけい、寛延2年(1749年) - 享和3年閏1月3日(1803年2月24日))は江戸時代中期から後期の長崎派の画家。
略歴
編集肥前国長崎に生まれる。唐絵目利の荒木元融に師事し、沈南蘋の画風を学ぶ[1]。細密な彩色花鳥画を得意[2]とした。大村藩の御用絵師となり江戸に移住。芝浜松町に住み、市河寛斎の次男・祥胤(鏑木雲潭)を養子に迎える。噂を聞いた門人が雲集し江戸に長崎派の画法を広く伝えた。
作品
編集作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款 | 備考 |
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陶淵明図 | 市河寛斎賛 | ||||||
牡丹孔雀図 | 板地著色 | 絵馬1面 | 中央120.8(辺104.4)x164.1 | 金刀比羅宮 | 寛政3年(1791年) | 款記「平世胤敬写」/「□□□印」白文方印 | 画面右上に奉納銘「寛政三年辛亥歳五月日/豊後国佐伯城主/従五位下守伊勢守藤原朝臣高標敬白/家號毛利」[5] |
梅花双禽図 | 大分県立芸術会館 | 寛政3年(1791年) | |||||
柳下唐美人図 | |||||||
諸葛孔明図 | 大村市教育委員会 | 市河米庵賛。大村市指定文化財 | |||||
中国美人図 | 絹本著色 | 1幅 | 95.6x35.2 | プーシキン美術館[6] | |||
雪中鷹図 | 絹本墨画淡彩 | 1幅 | 83.5x30.0 | プーシキン美術館[6] |
脚注
編集参考文献
編集- 図録『夭折の南画家』 佐野美術館、1991年