鎌谷 仙龍 (かまたに せんりゅう、1904年 - 1982年) は日本の曹洞宗僧侶

かまたにせんりゅう
鎌谷仙龍
1904年- 1982年
江雲
宗派 曹洞宗
寺院 鳥取県大樹寺
橋本恵光
著作

『正法眼蔵弄精魂集』 『正法眼蔵身心学道参究』 『正法眼蔵袈裟功徳(仙龍)』

『正法眼蔵菩提薩埵四摂法』
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元大本山永平寺後堂単頭眼蔵会講師

生涯

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鳥取県舟岡町に生まれる。大正4年(1915年)12歳にて出家得度。昭和4年(1929年)より元大本山永平寺西堂橋本恵光老師に随身。

1948年5月、鳥取県大樹寺21世に就任。1955年5月に大樹寺境内に僧堂を建立、橋本恵光老師を師家として招き拝請して大樹寺専門僧堂を開単。1956年5月に大樹寺専門僧堂開単する。

1959年8月、大本山永平寺単頭に就任。1963年9月、永平寺単頭乞暇。昭和43〜48年(1968〜1973年)同後堂を歴任。

1965年、橋本恵光老師が遷化した為、新居浜市瑞應寺僧堂、名古屋の海善寺僧堂、大樹寺僧堂の師家、愛知県海善寺道場の師家として、坐禅の指導及び正法眼蔵の提唱等に尽力。行持規範改訂増補編纂及び昭和改訂声明規範編集委員となる。

1968年10月25日、大本山永平寺後堂に就任。眼蔵会講師を務める。永平寺の吉祥閣建設に奔走し、聖僧文殊大士像と住持椅を寄進。昭和44〜49年(1969〜1974年)計6回永平寺眼蔵会講師。

1970年全日本仏教会の国際事業、韓国・忠清南道で「仏教伝来謝恩碑」の建立が発願される。当時、全日仏の理事長は曹洞宗管長で永平寺七十四世佐藤泰舜禅師。しかし佐藤禅師は盲目だったため、碑銘の揮毫を仙龍が代筆する。

1972年、『祖山行持指南』編纂に尽力。

1974年、永平寺後堂乞暇。

1975年、大樹寺での年頭摂心会にて『正法眼蔵』身心学道巻を提唱した後に罹病、1977年に退董、大樹寺専門僧堂も閉単する。1980年、二祖国師七百回忌大遠忌事業で、本山版『正法眼蔵』全巻を全巻口誦し録音する。

1982年、遷化(逝去)[1]、示寂。贈大本山永平寺西堂。贈権大教正[2]

著書

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  • 『正法眼蔵 身心学道参究』、大樹寺山水経閣, 1977年
  • 『正法眼蔵弄精魂集』「即心是仏」、仏教情報センター、1983年1月。
  • 『正法眼蔵弄精魂集』「摩訶般若波羅蜜,重雲堂式」、仏教情報センター、1983年6月。
  • 『正法眼蔵弄精魂集』「山水経」、仏教情報センター、1983年11月。
  • 『正法眼蔵弄精魂集』「現成公按」、仏教情報センター、1984年12月。
  • 『正法眼蔵弄精魂集』「一顆明珠」、仏教情報センター、1993年。
  • 『正法眼蔵弄精魂集』「洗浄」、仏教情報センター、1997年。
  • 『正法眼蔵菩提薩埵四攝法』、大樹寺、1973年10月。
  • 『正法眼蔵袈裟功徳(鎌谷仙龍)』、1976年。
  • 『正法眼蔵拝読全集』1~3集 全36巻揃い、株式会社ぱんたか。

参考文献

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  • 龍明編纂、『雍容室語録』、2014年6月。
  • 鎌谷仙龍・恵俊・龍明等編纂、『恁麼室語録』上・中・下巻、山田印刷所、1970年。
  • 『正法眼蔵弄精魂集』「現成公按」、仏教情報センター、1984年12月。
  • 熊谷忠興 、『永平寺年表』、1978年。
  • 楢崎通元、『僧堂の行持 如法の衣食住』瑞応寺専門僧堂瑞雲会、1979年7月
  • 宗門の禅者『鎌谷仙龍 老師』”. 宗淵寺/願興寺 (2019年9月15日). 2024年6月22日閲覧。 宗門の禅者『鎌谷仙龍 老師』 | 宗淵寺/願興寺 (amebaownd.com)

脚注

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  1. ^ 龍明編纂、『雍容室語録』、2014年、205頁(仙龍大和尚略年譜)。
  2. ^ 『正法眼蔵弄精魂集』「現成公按」、仏教情報センター、1984年、奥付「提唱者略歴」