鎌田光政
鎌田 光政(かまだ みつまさ)は、平安時代末期の武将。名は政光、正親とも。源義朝の乳兄弟である鎌田政清の子(鎌田政治の子という説も)。兄は鎌田 盛政(かまた もりまさ)で通称は藤太。
時代 | 平安時代末期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 元暦2年2月19日(1185年3月22日)? |
別名 | 政光・正親[1]、通称:藤次または三郎[1] |
主君 | 源義経 |
氏族 | 藤原北家秀郷流首藤氏庶流鎌田氏 |
父母 | 父:鎌田政清または鎌田政治 |
兄弟 | 盛政?、光政、正近?、女子 |
経歴
編集軍記物語『源平盛衰記』では兄・盛政と共に義経四天王の1人として活躍し、屋島の戦いにて、射落畠で平教経と戦い討死する。盛政は一ノ谷の戦いで討ち死にしている。
『義経記』には政清の子として鎌田 正近(かまた まさちか)通称は三郎が登場し、僧となって正門坊(唱門坊[1])と名乗り、牛若丸に出生の秘密を告げる。
なお、鎌田盛政・光政兄弟の存在が書かれているのは『源平盛衰記』のみであり、『平家物語』や史料である『吾妻鏡』、系図などでは見られない。正近は『義経記』のみに登場する。