鎌大師
愛媛県松山市に所在する仏堂
鎌大師堂(かまだいしどう)は愛媛県松山市に所在する仏堂である。山号は鴻乃山。本尊は弘法大師。四国八十八箇所番外札所、花へんろ第一番札所。
鎌大師堂 | |
---|---|
仏堂 | |
所在地 | 愛媛県松山市下難波甲1063 |
位置 | 北緯33度59分21.16秒 東経132度47分5.88秒 / 北緯33.9892111度 東経132.7849667度座標: 北緯33度59分21.16秒 東経132度47分5.88秒 / 北緯33.9892111度 東経132.7849667度 |
山号 | 鴻乃山 |
本尊 | 弘法大師 |
創建年 | 伝・平安時代 |
開基 | 伝・空海(弘法大師) |
別称 | 鎌大師堂 |
札所等 |
四国八十八箇所番外 花へんろ第1番札所 |
文化財 | 市史跡 |
概要
編集伝承によれば、平安時代、空海が四国巡錫中に、泣きながら鎌で草を刈っている少年を発見した。わけを聞くと、疫病で少年の姉は死に弟も瀕死の状態で、このままでは皆死に絶えてしまうと答えた。そこで空海は少年の鎌で木片に自分の像を刻み、像に祈るよう伝えて去った。言われるままに像を祀り祈ったところ、たちどころに弟や村人の病が癒えた。その後、堂を建て村人によって祀られ、鎌大師と呼ばれるようになったと言われる。
江戸時代、遍路の祖と言われる真念が著した『四國邊路道指南』に「かうの坂、ふもとに大師堂」と記されており、江戸時代には仏堂が存在していたことが窺える。
著名な庵主に『花へんろ一番札所から』『お遍路でめぐりあった人びと』『人生は路上にあり』等を著した手束妙絹(てづか みょうけん)尼がいたが、高齢を理由に平成15年(2003年)に引退し、平成23年(2011年)1月入寂した。
文化財
編集- 松山市文化財(史跡)
境内は、昭和48年(1973年)4月9日に、芭蕉塚・十八人塚・大師松と併せて松山市文化財(史跡)に指定された。
- 芭蕉塚
- 十八人塚
- 境内南西にある古墳。建武2年(1335年)立烏帽子城主で北条氏方の赤橋重時(北条駿河太郎重時)は、後醍醐天皇方の土居通増・得能通綱連合軍の攻撃を受けた。敗走した赤橋主従18人は自刃し、この塚に葬られたと伝えられている。
- 大師松
- 境内に高さ約25mのクロマツの巨木があった。遍路の目印にもなっていたという。昭和26年(1951年)11月27日に愛媛県天然記念物に指定されていたが、松くい虫の被害により平成6年(1994年)に枯死した。
-
芭蕉塚
-
十八人塚
-
後継の大師松2014.8.30
参考文献
編集- 宮崎建樹/著 『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会/刊 2010年(第9版)
- 同 解説編 2007年(第7版)