鍾離郡(しょうり-ぐん)は、中国にかつて存在した東晋から唐代にかけて、現在の安徽省鳳陽県一帯に設置された。

概要

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東晋の安帝のとき、淮南郡を分割して、鍾離郡が立てられた。鍾離郡は徐州に属し、郡治は燕県に置かれた。

421年南朝宋永初2年)、淮南の徐州が南徐州と改められると、鍾離郡は南徐州に転属した。元嘉年間、鍾離郡は南兗州に転属した。473年元徽元年)、鍾離郡は徐州に転属した。宋の鍾離郡は燕・朝歌楽平の3県を管轄した[1]

南朝斉のとき、鍾離郡は北徐州に属し、燕・朝歌・の4県を管轄した[2]

北斉のとき、鍾離郡は西楚州に属した。

582年開皇2年)、西楚州は濠州と改められ、鍾離郡は濠州に属した。583年開皇3年)、が郡制を廃すると、鍾離郡は廃止されて、濠州に編入された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、濠州が鍾離郡と改称された。鍾離郡は鍾離定遠化明塗山の4県を管轄した[3]

620年武徳3年)、唐により鍾離郡は濠州と改められ、鍾離・塗山・定遠・招義の4県を管轄した。742年天宝元年)、濠州は鍾離郡と改称された。758年乾元元年)、鍾離郡は濠州と改称され、鍾離郡の呼称は姿を消した[4]

関連項目

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脚注

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  1. ^ 宋書』州郡志一
  2. ^ 南斉書』州郡志上
  3. ^ 隋書』地理志下
  4. ^ 旧唐書』地理志三