鍋山城(なべやまじょう)は、岐阜県高山市漆垣内町東ケ洞・神田・松之木町鍋山にあった日本の城山城)。鍋山氏が築城したが、後に姉小路家三木氏金森氏の城となる。岐阜県指定史跡[1][2]

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鍋山城
岐阜県
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 平野安室?
築城年 天文年間(1532年〜1555年)?
主な城主 三木氏、金森氏
廃城年 1600年(慶長5年)頃
遺構 石垣櫓台虎口土塁
指定文化財 岐阜県指定史跡[1]
再建造物 なし
位置 北緯36度09分05.2秒 東経137度17分26.9秒 / 北緯36.151444度 東経137.290806度 / 36.151444; 137.290806座標: 北緯36度09分05.2秒 東経137度17分26.9秒 / 北緯36.151444度 東経137.290806度 / 36.151444; 137.290806
地図
鍋山城の位置(岐阜県内)
鍋山城
鍋山城
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概要・歴史

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天文年間(1532年 - 1555年)に平野豊後守安室(鍋山安室)によって築かれたといわれる。安室が鍋山に築城し、鍋山氏を名乗った。

鍋山安室は三木姉小路氏の臣下となり、養子に三木顕綱を迎えた。だが顕綱は安室を毒殺し、養母小峯の方と左近大夫を追放し、鍋山城を乗っ取った。

顕綱は、八日町の戦いの3か月後に謀反の嫌疑(羽柴秀吉への内通)により、兄である姉小路頼綱(三木自綱)により鍋山城内で妻と共に暗殺された。

その後、鍋山城は頼綱の次男・姉小路秀綱が城主となり、家督を譲られた後、本城の松倉城へ移動し、三男の李綱が鍋山氏を継ぎ鍋山城主となった。

しかし1585年(天正13年)の飛騨征伐により三木氏は滅ぼされ、鍋山城には金森氏が入った。

金森氏は当初、鍋山城で政務を執り城下の整備などを行ったが、土地が狭く経営に向かないとして鍋山城を放棄し、高山城へ移った[2][3]

城郭

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石垣櫓台虎口土塁が残る。大鍋山に本丸、小鍋山に二の丸、下鍋山に出丸が築かれている。現在城跡の管理は鍋山城跡史跡保存会が行っている[1]

逸話

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鍋山城麓に七夕岩(雄岩・雌岩)があり、おはぐろ蛇の伝説が語り継がれている。

脚注

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  1. ^ a b c 「鍋山城」岐阜県公式HP
  2. ^ a b 「鍋山城跡」高山市教育委員会公式HP
  3. ^ 『飛騨市山城マップ~姉小路編~』飛騨市教育委員会事務局文化振興課

関連項目

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外部リンク

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