鈴木道子 (音楽評論家)
日本の音楽評論家
経歴
編集東京府出身[1]。自由学園ピアノ学校に学び、林光は同級生であった[1]。お茶の水女子大学附属高等学校から、東京女子大学文学部英米文学科に進んだが、高校の頃からNHKやTBSのラジオ放送に出演していた[1]。大学卒業後、文化放送にアナウンサーとして入社したが、レコード室を経て、音楽番組を手がけるプロデューサーとなり、『モダン・ジャズを分析する』で『スイングジャーナル』誌のプロデューサー・オブ・ジ・イヤーを受賞した[1]。
1960年にアメリカ合衆国へ渡り、1年半ほどで帰国して以降は、フリーランスとしてラジオ番組のプロデューサーやディスクジョッキー、音楽評論家として活動した[1]。日本レコード大賞審査員、国立音楽大学非常勤講師なども歴任した[1]。また、一般社団法人ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会長を務めている[2]。
おもな著書
編集著作
編集- アメリカン・ミュージック・ヒーローズ 米国ポピュラー音楽の歴史、ショパン、2005年
- 花に聴く 鈴木道子写真集、光村印刷、1999年
- 花に聴く 鈴木道子写真集2、文芸社、2012年
- 祖父・鈴木貫太郎 孫娘が見た、終戦首相の素顔、朝日新聞出版、2024年。保阪正康監修・解説
- 「ライヴ・イン・ジャパン」コレクション1966-1993、河出書房新社、2014年。編
訳書
編集- サイ&バーバラ・リバコフ、ボブ・ディラン モダン・フォークの巨星、東亜音楽社、1966年
- ハリー・エリス・ディクスン、ドルチェで行きましょう わが愛するボストン交響楽団の三十年、文化放送開発センター出版部、1974年
- ブルース・ポロック、ロック・ノスタルジア、晶文社、1989年
- ルイ・アームストロング、サッチモ ニュー・オルリーンズの青春、音楽之友社、1970年
脚注
編集- ^ a b c d e f “Profile 鈴木道子”. musicbook. 2017年9月9日閲覧。
- ^ “「テロ等準備罪」反対声明文”. ミュージック・ペンクラブ・ジャパン. 2017年9月9日閲覧。:“会員一覧・ポピュラー”. ミュージック・ペンクラブ・ジャパン. 2017年9月9日閲覧。
- ^ “戦争の有名人 その子孫たちは「いま」【第2部】 高橋是清、犬養毅、鈴木貫太郎、栗林忠道…… 戦中戦後の偉人・軍人末裔が語る「あれから70年」 (2/5)”. 現代ビジネス. 講談社 (2015年8月18日). 2019年11月12日閲覧。