鈴木正 (野球)

日本の野球選手

鈴木 正(すずき ただし、1941年8月26日 - 2002年7月4日[1])は、三重県出身のプロ野球選手(内野手)。

鈴木 正
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県松阪市
生年月日 1941年8月26日
没年月日 (2002-07-04) 2002年7月4日(60歳没)
身長
体重
174 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1960年
初出場 1960年
最終出場 1969年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 南海ホークス (1978 - 1979)

来歴・人物

編集

松阪商業高校では、遊撃手として夏の甲子園に2回出場。1958年大会では佐々木有三、福原勝(近鉄)のいた益田産を降し2回戦に進出するが、高知商森光正吉ノーヒットノーランを喫する[2]。1年上のチームメートに捕手の土井文夫(広島)がいた。翌1959年大会は1回戦で松商学園に惜敗[2]。1年下のチームメートに外野手の栗野芳治(大毎)がいる。

1960年南海ホークスへ入団[1]1961年に控え内野手として一軍に定着し、1962年には岡本伊三美二塁手の定位置を争う。その後も内野のユーティリティプレイヤーとして活躍し、1964年には主に三塁手二塁手として41試合に先発出場。同年からのリーグ3連覇に貢献し、日本シリーズにも代打、守備固めなどで起用され、3年連続で出場した。

1969年に引退後は南海でマネージャー・コーチを務め、ダイエーになってからはスカウトを担当した[1]。裏方として通訳を務めた市原稔(息子・市原圭もホークス在籍)、打撃投手を務めた西村省一郎と共に水島新司作の「あぶさん」に1話限りとは言え、彼らをクローズアップしたストーリーがあり、その後もマネージャーとして切符の手配などをする場面を中心に主に連載初期に度々登場する場面がある。

2002年7月4日肺癌のため60歳で亡くなった。

詳細情報

編集

年度別打撃成績

編集
















































O
P
S
1960 南海 6 9 9 1 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .333 .333 .333 .667
1961 43 42 39 9 7 2 0 0 9 2 2 2 1 0 2 0 0 11 0 .179 .220 .231 .450
1962 74 102 97 14 26 1 0 1 30 7 4 6 3 0 2 0 0 25 1 .268 .283 .309 .592
1963 89 116 100 8 20 3 0 3 32 11 0 0 9 0 7 0 0 24 0 .200 .252 .320 .572
1964 87 182 161 22 45 1 0 4 58 16 3 1 1 1 18 0 1 28 0 .280 .356 .360 .716
1965 72 102 92 12 18 5 0 1 26 5 1 0 3 0 5 1 2 16 2 .196 .253 .283 .535
1966 43 67 61 3 10 0 0 0 10 2 0 0 4 0 2 0 0 13 0 .164 .190 .164 .354
1967 69 127 115 7 22 3 0 2 31 6 1 0 4 0 6 0 2 17 0 .191 .244 .270 .513
1968 57 47 41 0 3 0 0 0 3 4 0 0 5 0 1 0 0 9 1 .073 .095 .073 .168
1969 7 1 1 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 1.000 2.000
通算:10年 547 795 716 76 155 15 0 11 203 53 11 9 30 1 43 1 5 148 4 .216 .266 .284 .549

背番号

編集
  • 14 (1960年 - 1969年)
  • 74 (1978年)
  • 84 (1979年)

脚注

編集
  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、295ページ
  2. ^ a b 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

関連項目

編集

外部リンク

編集