鈴木望 (野球)
鈴木 望(すずき のぞむ、1967年5月2日 - )は、静岡県浜松市生まれ、東京都世田谷区[1]出身の元プロ野球選手(内野手)。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都世田谷区 |
生年月日 | 1967年5月2日(57歳) |
身長 体重 |
179 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 二塁手 |
プロ入り | 1989年 ドラフト5位 |
初出場 | 1993年9月21日 |
最終出場 | 1996年8月11日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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父の鈴木章介は1964年東京オリンピックに出場した十種競技選手、巨人トレーニングコーチ[1]、母はローマ五輪走り幅跳びに出場した伊藤文子。
来歴・人物
編集小学2年の時にリトルリーグに所属して野球を始める[1]。野球留学で進んだ石川県の星稜高では2年の春夏に甲子園出場[1]。1年上に湯上谷竑志がいた。
1986年に高校卒業後、駒澤大学へ進学。硬式野球部に所属。1987年春季リーグでは打率.576で戦後最高打率の首位打者になり[1]、リーグ戦優勝に貢献。1学年先輩の野村謙二郎と1、2番を打ち、二遊間を組んだ。東都大学リーグ通算75試合出場、233打数69安打、打率.296、6本塁打、35打点、ベストナイン2度受賞。大学では、3学年先輩に新谷博、2学年先輩に田村勤、1学年先輩に野村や鈴木英之、1学年後輩に関川浩一、2学年後輩に竹下潤や若田部健一、3学年後輩に田口昌徳や鶴田泰らがいた。
1989年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから5位指名を受け入団[1]。
1993年に一軍初出場を果たした。
1996年に日本ハムファイターズのテストに合格し入団する[1]。同年一軍出場を果たしプロ初安打を本塁打で記録する。
1997年以降は一軍出場が無かった。
1998年オフに現役を引退。プロでは右膝の故障にも泣き、飛躍することができなかった。
引退後は栄養食品会社に勤務しつつ、クラブチームで選手として活動していた[1]。その後、東京青山リトルシニアのコーチを務める。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1993 | 巨人 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
1996 | 日本ハム | 10 | 19 | 15 | 2 | 2 | 1 | 0 | 1 | 6 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 8 | 0 | .133 | .278 | .400 | .678 |
通算:2年 | 14 | 19 | 15 | 3 | 2 | 1 | 0 | 1 | 6 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 8 | 0 | .133 | .278 | .400 | .678 |
記録
編集- 初出場:1993年9月21日、対広島東洋カープ19回戦(広島市民球場)、8回裏に川相昌弘に代わり遊撃手として出場
- 初先発出場:1996年6月11日、対千葉ロッテマリーンズ13回戦(宮城球場)、2番・二塁手として先発出場
- 初安打・初本塁打・初打点:同上、6回表にエリック・ヒルマンから左越ソロ
背番号
編集- 41 (1990年 - 1994年)
- 63 (1995年)
- 38 (1996年 - 1998年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 鈴木望 - NPB.jp 日本野球機構