鈴木文次郎
大日本帝国陸軍の軍人
鈴木 文次郎(すずき ぶんじろう、1875年(明治8年)12月12日[1] - 1943年(昭和18年)11月20日[1])は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。
鈴木 文次郎 | |
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生誕 |
1875年12月12日 東京府(現東京都) |
死没 | 1943年11月20日(67歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1897年 - 1925年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
墓所 | 青山霊園立山墓地 |
経歴
編集東京府出身[1][2]。1896年(明治29年)11月、陸軍士官学校(第8期 計292名)を卒業し、1897年(明治30年)6月、騎兵少尉に任官[3]。1913年(大正2年)1月15日に騎兵第25連隊長に就任し、1918年(大正7年)7月24日に騎兵大佐に昇進して軍馬補充部七戸支部長(現 青森県上北郡天間林村)となる[2]。1921年(大正10年)7月20日に騎兵第16連隊長を経て、1922年(大正11年)8月15日に陸軍少将に任命され騎兵第3旅団長となる[1][2]。1924年(大正13年)2月4日に軍馬補充部附[2]、その後、1925年(大正14年)5月1日に待命、同月25日に予備役に編入された[1][2]。
栄典
編集家族
編集- 妻: マツ江
- 子女: 道子(夫:田中実)
- 孫: 満子(夫: 黒田正隆 )