鈴木慎吾
鈴木 慎吾(すずき しんご、1978年3月20日 - )は、埼玉県鴻巣市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
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名前 | ||||||
愛称 | シンゴ | |||||
カタカナ | スズキ シンゴ | |||||
ラテン文字 | SUZUKI Shingo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1978年3月20日(46歳) | |||||
出身地 | 埼玉県鴻巣市 | |||||
身長 | 168cm | |||||
体重 | 63kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1993-1995 | 浦和レッズユース | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1996 | 浦和レッズ | 0 | (0) | |||
1997-1998 | 横河電機 | |||||
1999-2007 | アルビレックス新潟 | 222 | (53) | |||
2002-2003 | → 京都パープルサンガ (loan) | 60 | (8) | |||
2007 | → 大分トリニータ (loan) | 15 | (3) | |||
2008-2009 | 大分トリニータ | 55 | (2) | |||
2010-2011 | 京都サンガF.C. | 7 | (1) | |||
2012 | 東京ヴェルディ | 0 | (0) | |||
2012 | → ギラヴァンツ北九州 (loan) | 9 | (0) | |||
2013 | アルビレックス新潟・S | 24 | (5) | |||
通算 | 392 | (72) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2013年12月13日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集1996年に浦和レッドダイヤモンズユースからトップチームに昇格を果たすが、わずか1年で戦力外となり関東1部リーグの横河電機(現・東京武蔵野シティFC)で契約社員として勤務しながらアマチュア選手としてプレーしていた。
横河でのプレーが目に留まり、1999年よりアルビレックス新潟に入団。2000年のJリーグ ディビジョン2(J2)での古巣・浦和と対戦時には、ホームの2試合ではいずれもゴールを挙げ、見事に恩返しを果たした。
新潟に3年在籍し、J1昇格を果たせないで居たが、2002年にJ1の京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)からオファーがあり、レンタル移籍。鈴木にとって初となるJ1でのプレーが叶った。京都には2年在籍し、2002年の天皇杯優勝に貢献するなど、その能力が国内トップリーグで通用する事を成績で証明した2年間となった。
2004年、J1に昇格を果たした新潟に復帰。同年J1アシストランキング上位、2006年は9得点と自身の最多ゴール記録を更新し、「新潟の顔」として活躍した。
2007年途中から大分トリニータに期限付き移籍。降格の危機にあった大分の救世主として活躍。J1残留に貢献し、古巣であり選手としての本籍を置く新潟との最終戦では、1ゴール1アシストとまたも古巣に強い所を見せた。また、J1アシストランキング4位と好成績を収め、大分に欠かせない戦力となった。2008年からは大分に完全移籍となり、副キャプテンを務めた。
2009年12月4日、クラブ公式ホームページより戦力外通告を受けたことが発表された。
2010年に7年ぶりに京都に復帰したが、出場機会には恵まれず2011年に退団。
2012年、東京ヴェルディへ移籍。同年8月8日よりギラヴァンツ北九州に期限付き移籍。同年限りで北九州への期限付き移籍を満了。
2013年、アルビレックス新潟シンガポールへ完全移籍。2013年シーズンを最後に現役を引退した。
2014年4月2日、京都のホームタウンアカデミーコーチに就任[1]。2015年より京都の強化部スカウトへの就任が発表された[2]。
所属クラブ
編集- 浦和レッドダイヤモンズユース(埼玉県立大宮武蔵野高等学校)
- 1996年 浦和レッドダイヤモンズ
- 1997年 - 1998年 横河電機
- 1999年 - 2007年 アルビレックス新潟
- 2008年 - 2009年 大分トリニータ
- 2010年 - 2011年 京都サンガF.C.
- 2012年 東京ヴェルディ
- 2012年8月 - 同年12月 ギラヴァンツ北九州 (期限付き移籍)
- 2013年 アルビレックス新潟シンガポール
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1996 | 浦和 | - | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1997 | 横河電機 | 関東 | - | - | |||||||
1998 | - | - | |||||||||
1999 | 新潟 | 17 | J2 | 30 | 8 | 2 | 0 | 3 | 0 | 35 | 8 |
2000 | 40 | 11 | 2 | 0 | 3 | 3 | 45 | 14 | |||
2001 | 9 | 42 | 16 | 2 | 0 | 3 | 0 | 47 | 16 | ||
2002 | 京都 | 14 | J1 | 30 | 7 | 6 | 3 | 5 | 0 | 41 | 10 |
2003 | 7 | 30 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 35 | 1 | ||
2004 | 新潟 | 18 | 30 | 5 | 5 | 2 | 1 | 0 | 36 | 7 | |
2005 | 29 | 4 | 6 | 0 | 1 | 0 | 36 | 4 | |||
2006 | 34 | 9 | 5 | 1 | 2 | 0 | 41 | 10 | |||
2007 | 17 | 0 | 4 | 0 | - | 21 | 0 | ||||
大分 | 11 | 15 | 3 | - | 2 | 0 | 18 | 3 | |||
2008 | 34 | 2 | 9 | 2 | 1 | 0 | 44 | 4 | |||
2009 | 21 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 22 | 0 | |||
2010 | 京都 | 3 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | ||
2011 | J2 | 4 | 1 | - | 0 | 0 | 4 | 1 | |||
2012 | 東京V | 13 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | |||
北九州 | 29 | 9 | 0 | - | 1 | 0 | 10 | 0 | |||
シンガポール | リーグ戦 | リーグ杯 | シンガポール杯 | 期間通算 | |||||||
2013 | 新潟S | 9 | Sリーグ | 24 | 5 | 4 | 1 | 1 | 0 | 29 | 6 |
通算 | 日本 | J1 | 244 | 31 | 43 | 8 | 13 | 0 | 291 | 37 | |
日本 | J2 | 125 | 36 | 6 | 0 | 10 | 3 | 141 | 39 | ||
日本 | 関東 | - | |||||||||
シンガポール | Sリーグ | 24 | 5 | 4 | 1 | 1 | 0 | 29 | 6 | ||
総通算 | 393 | 72 | 53 | 9 | 24 | 3 | 470 | 84 |
その他の公式戦
- 2003年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2009年
- パンパシフィックチャンピオンシップ 2試合0得点
エピソード
編集- 実家は埼玉県鴻巣市(旧吹上町)にて、蕎麦通の間では有名な蕎麦屋を営んでおり、関東へ遠征する際にわざわざ立ち寄る大分や新潟のサポーターもいる。店では大分トリニータ所属時代の公式戦開催日に店舗入口にトリニータの旗を掲げたり、また、近隣のNACK5スタジアム大宮で大宮対新潟戦が行われた際には、試合後に立ち寄る古巣・新潟サポーターを歓迎すべく、アルビレックスの旗が取り付けられる(2008年)など、旧所属・現所属を問わず親しまれている。
脚注
編集- ^ “鈴木慎吾氏 ホームタウンアカデミーコーチ就任のお知らせ”. 京都サンガF.C.. 2014年4月2日閲覧。
- ^ 『野口 裕司強化部スカウト 強化部長就任のお知らせ』(プレスリリース)京都サンガF.C.、2014年11月28日 。2014年11月28日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 鈴木慎吾 - Soccerway.com
- 鈴木慎吾 - FootballDatabase.eu
- 鈴木慎吾 - WorldFootball.net
- 鈴木慎吾 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 鈴木慎吾 - J.League Data Siteによる選手データ
- 鈴木慎吾オフィシャルブログ